夜って、こんなにブログを書くのつながりにくくなるものなの?

滅多にこの時間に起きていることがないから驚き。



 

実家に行ってきた。

春休みだから子供の預け先がなくて。

新幹線で1時間ちょっとの実家。

パートの日給と同額の交通費がかかる。

でも、仕方ない。

一日中子供を一人で家に置いておくよりはずっとマシ。

かと言って年老いた両親に子供の世話を何日もお願いするのは無理。

せめて夜くらいは戻って交代しなくては。

それでも、誰かが一緒に子供と昼ご飯を食べてくれる、

そう思うだけでありがたくてありがたくて・・・


 

明日からは学童に入れることになった。

 

私の住んでいる地域だと

学童の枠に入るのは熾烈な戦いになる。

母子家庭で近くに子にとっての祖父母もいない我が家は

なんとかその枠に入ることができた。

 

でも、入れない家庭は

「鍵の練習をしてください」と言われるしかないのだ。



 

離婚が決まり働かなくてはならなくなった時。

 

まず学童に入れてもらえないか相談に行った。

既に枠めいっぱいの児童が入っていて、

途方に暮れる私に学童の担当の方が言った言葉が上記のこと。

 

うん。

そうだよね。

それしかないよね。

それ以外に言いようがないよね。

 

でもね。

 

本気で悲しくて悲しくて泣きたくなった。

 

誰も味方がいない。

 

うちの子は何かあっても誰にも手を差し伸べてはもらえないの?

そんな思いで胸が張り裂けそうになった。

 

隣の学校は5時まで学校で放課後遊びができる。

同じ自治体なのにどうしてこうも処遇が違うのか。

 

うちの学校にもその制度は導入されるのか。

教育委員会に聞いてみた。

「今のところその予定はありません」

一言で済まされた。

 

「放課後に学校に残ることもできず、学童にも入れない。

枠に入れない児童のことは考えてはもらえないのですか?

どうしようもなく働かなくてはならない状況もあるんです。

隣の学校にできてどうしてこちらの学校ではできないのですか。」

食い下がってしまった。

 

でも、のんびりと

「そうですよね~。

もちろん今後の可能性が全く無いわけではなく、

将来的には全ての学校に導入する予定ではありますが、

今のところはそちらの学校には無いのです」

 

・・・・だったら学童枠を広げてくれ。

 

学童に入るには就労証明が必要だ。

まず職についていないといけないわけで。

私としてはこれから面接で就労条件を話し合うには、

先に学童に入ってからでなければ無責任に

「何時まで勤務可能です」という話はできないではないか・・・と思っていた。

だけど、保育園もそうなんだと思うけれど、「まず就労」なのね。

 

そんな先の見えない相手をこの不況のなか、

雇おうと思ってくれる会社がどれほど少ないか。

そういう情勢のなかで母子家庭にならざるをえない親達が

どういう思いを抱えて就職活動をしていることか。

 

うちはなんだかんだで低学年も終わる頃だったからまだいい。

私は不安で不安でたまらなかったけれど、

しつこいほど鍵の説明もして防犯対策についても教え込んだ。

 

留守番についても

近所の同級生達が外で遊んでくれる時間を

たくさん作ってくれたから

雨の日以外は

案外時間はあっという間に過ぎていたようだ。

 

でも、これから入学する子たち、

もっと小さな子たちの母親が

ある日突然働かなければならなくなった時。

 

「ああ・・・満員ですから。鍵の練習をさせてください。」

 

そう言われるしかない世の中。

「鍵っ子」は現代特有のものではない。

昔から同じような立場にならざるをえなかった親がいて。子がいて。

この言葉を言われて終り・・・の状況にぶつかった時、

胸が痛まない親はいないと思う。

 

暖かな手の平に乗っている沢山の子供たち。

その指の隙間から

自分達だけがこぼれ落ちてしまったかのような。

どうか。

どうか私の子供にもその暖かさを分けてください。

そんな気分になります。


 

保育園の待機児童が急増しているニュースを見るたび、

数ヶ月前の途方に暮れて泣いてばかりだった自分と重なり

つらくなる。

 

勝手な推測だけれど、

去年あたりから旦那さんの気持ちがおかしくなっている人って

例年に比べ、ものすごい数になるのではないかと思う。

地球の磁場がおかしくなっているのでは?というくらい、

去年からなんだか世の中が大変な方向に向かっている気がする。

それは世界情勢がどうだとかいう規模の話ももちろんだけれど、

もっと身近な家庭単位での現象でまで表れているように思えてならない。

不況が原因というのももちろんあるけれど、

その数ヶ月前から少しずつ表れ始めていたのではないか、と。

 

いずれにしても、

今、大変な思いをしている家庭の数がどれほどになるのか。

どれほどの親が苦しい選択を迫られているのか。

 

いつか、自分もそういう家庭に何かしてあげられる力をつけたい。

きっと、そんな風に思うようになる母達もたくさんたくさんいると思う。

私もその一人だ。

 

へこたれそうになる自分が生きる力をかき集める時、

まずは子供のことを思う。

次に、自分の目標として「いつか誰かに」を掲げる。

今は助けてもらいたいことだらけだけど。

「何かあったら言って」というよりも

「○○をやろうか?」と具体的に提案できる人間になりたいと思う。



 

なんて言いつつ、実は今結構へこんでいたりする。

全然パワーが無い。

だから自分の気持ちを整理するためにも

日記として、あの頃のつらさをもう1度思い出して

記しておこうと思ったわけです。


 

明日はいいことあるといいな。