なんてラディカルなタイトルを書いたのだろうかw

今日は先日告知の通り
【蟻の兵隊】上映会に行ってきた
主演の奥村さんは今ガンと戦っていますが
「元気で茶目っ気たっぷりの奥村さん」は健在だった
奥村さんを見ると、自分努力足りてないなとひしひし。

photo:01




さてさて本題に入る

今日感じたことは、それまでと違うことだったので書いとく

「大東亜戦争の歴史的認識を据える事ために、この映画を作ったのではなくって。。。」
というような事を、池谷監督が言っていた

それは今すごくわたしが感じている事だった


歴史的事実の証明という大きな目的のためでなく
うもれてしまった残留軍の気持ちを組み上げる
(参加国全ての戦争被害者の気持ち)

それが戦争に向かっているかもしれない社会を変えて行く、歴史の語り方だと思う
というか60年間ずっとそこが足りてないんだと思う

歴史認識とは
だれかの恣意的な解釈がもたらすものから抜け出すことはできないわけで
(どんな事実も事実として存在させるのはデータでしかなく、解釈意味付けは誰かによって行われる。データさえも怪しいが。)

そう思ったら、解釈なんてその意味(平和追求)においては
そこまで重要じゃないかもって

そりゃ、この戦の経緯を読み解く上で何かの理論があって
だからそういう方策は反面教師として
今後は避けようね!っていう追求ができなくもないし
そういったアプローチで平和を実現していく人もいると思う

でも、その人達は超勉強しまくり
分析しまくり
考えあぐねいて.....答えをだしていくのだから

たかだか一般人がその認識をどうすえるかってのとは
レベルも意味も変わってくる

だから研究者とかでない限り
歴史的事実の認識の仕方に足を取られてるのは
なんだか無駄な気がする

歴史的事実がこーだという話は
往々にして自己肯定に使われることが多い
きな臭い

戦争を正当化する必要性なんてないと思う
(極論、不当だったという認識も普遍的にする必要はないかもしれない)
そういうのはどーだっていい

みんな、死にたくなかったし
大切なものを守りたかったし
国家もそれを止める事が事実できなかった
以上。

それ以上なにを解釈する必要があるのか
意味付けが必要だとしたら「正当か」「不当か」という枠組みではない


言葉足らずで伝わらないかもだけど
眠いので先に進む

要するにわたしが言いたいのは歴史的事実の証明としてではなく
「忘れられた人々の魂を紡いでいく作業の試み」こそが必要なんだと
戦争の歴史を振り返る最大の必要性はここにあるのだと思う

そういった人々の魂(悲しみや悔しさや願い)を発見し、掘り起こし、紡いで
戦争を忘れた世代のなかに息吹を吹き込むこと
そこに正当か不当かの議論が絶対になければならないのか

たとえ必要と考えたとしても
その根拠は過去の歴史の中に必要性があるのではなく
現在の外交を行う上での立場を考えての意味付けでしかない
つまり、純粋に正当か不当かを判断しているのではなく
いまの国益に基づくきわめて恣意的な意味付けでしかない
今の利益の為に正当か不当か決まるのであれば
それこそ不当な判断の仕方である


「忘れられた人々の魂を紡いでいく作業の試み」
そのために歴史的な事実を見る視点
立場を据え置くためではなく
紡いでいくために見る視点



映画の中にいろんな事実が存在する

終戦の3年後に天皇陛下万歳と言って戦死した日本兵の存在

日本兵に輪姦された過去を持つ中国人のおばあちゃんが
元日本兵の奥村さんを理解し励ます場面

戦犯なんとか書 (日本兵戦犯者の書いた手記)に日本兵が自身で書いた酷い事実
コピーをみるまで全く記憶から消えていたという元日本兵は
自分の書いた手記の事実に
「こんなことは鬼畜でなきゃできません。鬼です。」といい
自己が消し去った記憶にショックを受けた

奥村さんは
「小野田さん(「侵略戦争論」反対論者)はまだ本当の事を語ってないのではないか」と言った
日本兵として同じ戦争を経験した人間を
こんなにも逆の立場においてしまった戦後60年

そういった事実を60年たっても私たちは知らない

いつの時代も
政府の合意形成は人によって行われる
人が行うということは恣意的であるということ

当時の恣意的判断を国家が認める事ができないのはなぜ?

ひとつの大きなハードルとして「ポツダム宣言の存在」がある

ポツダム宣言後に日本が武力行為を行っていたことを認める事が国家にはできない

しかしポツダム宣言と抵触していたと認めたら、どう不都合になるのか

あまり想像がつかない
日米同盟破棄?
その時代にたちかえってそこからまた戦争の続きをする?
当時の関係者を処罰しなおす?(高齢で存命してる人にいまさら?)


そもそも不都合がいけないことなのか
今の政治外交不都合だらけじゃないか?

少し感情論になりかけてるので修正m(_ _ )m

「不都合を正すこと」のほうが国家には重要なのではないかという事だ
蓋をして当時を知る人がいなくなればいいという態度でいる限り
大きな爪痕を残す戦争の歴史は、何も変える事ができない

不都合をどう解決するかを放棄している国家に
日本の軍事を預けるなんて
嫌だね
守る方の身になれやと思うね

第二の蟻の兵隊が生まれないためにも
消された彼らの魂を紡ぎ織る作業が
国家にも国民のためにも必要としか
そうとしか考えられない

戦争で悲しい想いをした
全ての人々の願いを受け継ぐとは
そういう事ではないのだろうか

それに取り組む中で生まれる不都合にチャレンジすることが
歴史に敬意を払うということではないだろうか


iPhoneからの投稿蟻の兵隊―日本兵2600人山西省残留の真相 (新潮文庫)/池谷 薫

¥460
Amazon.co.jp

蟻の兵隊 [DVD]/奥村和一

¥4,935
Amazon.co.jp