先週末、この記事を2日かけてUPしたら記事後半1000字分くらいが消えた。

アプリのバカヤロー(♯`∧´)/

というわけでショックで立ち直れず
今の今までかかりました


以下残っていた前半部記事↓

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南三陸町災害派遣から帰って、3日たちました
まだこちらの生活について行けてませんm(_ _)m

帰ってきてすぐは、思い残す事も沢山あり、すぐに戻りたい気持ちで一杯で
向こうの事が頭から離れず
毎晩夢に見ています

帰ってから現地の情報が欲しいという方からコンタクトがありますが
きちんとした形で答えられずにいます
すみません

体力的な回復もいまだ完全ではありませんが、やはり精神的なものの方が大きいと思います

現地での活動は慌ただしくそれどころではなかったし
普段なら当たり前の食事、入浴が
いつもとは違うので知らず知らずのうちに気が張っていたのだと思います

「GWに現地へ行きたい。」という方のお話をよく聞きます。
もちろん要請があって行く方、気をつけていってらしてください。

では、少し現地の事を書きます

わたしが現地に入った時は、まだ存在するであろう避難所の確認がなされている最中でした。(まだ全てを把握できていませんでした。)

ガソリンなどの燃料が手に入りにくく、一日5、6時間並んで半分の量を手に入れるのがやっとという状態が続いているようでした。
(緊急車両は満タンにできましたが)

車両よりもバイクの方が燃費がよく
街の避難所を回るには適している
とにかく燃料は不足

水道も通っていませんから、給水車(他地域の行政の支援?や自衛隊)からの配給のみです。
井戸水は大きな地震があると濁ってのめません

各活動主体は生活水&飲料水を自前で用意しています

私たちは町の社会福祉協議会が運営する災害ボランティアセンターでのサポート業務ということもあり
滞在場所は社会福祉協議会の建物の一室を確保させてもらう事ができました

支援物資の中で空いてるスペースを確保し
ダウンを着たまま寝袋で寝起きする生活でした
(マフラーは外すべし。翌朝寝違えたのでやめた。)


電気もないですから夜はソーラーランタンが大活躍でした
夕方からの社会福祉協議会とのMTGもダウンを着込んで
ランタンと各自が持ち寄った懐中電灯をつかってノートを照らしつつ行いました

もちろん風呂、顔や手を洗う水もないですから
ウエットティッシュで拭いてアルコール消毒で済ませます

あるのは毎朝地元の方が沢から汲んできてくださるトイレ用に使用する水のみ
それだってとても貴重な水でした

町の拠点となっている(町行政などが設置された)ベイサイドアリーナの一画で業務をこなしました

photo:01


※南三陸町の拠点 ベイサイドアリーナ

photo:02


photo:03



業務内容は避難所の把握、ニーズ調査、緊急性の高い物資の配送、炊き出しの調整、個人ボランティアのマッチング、トイレ掃除もしたよ(^-^)/

最初はパソコン2台で対応。私が入ってから数日後にもう2台のパソコンとプリンターを防災科学技術研究所提供してくださりネットも重いけどなんとか使えそうな環境となり、データベースを作る事も始まりました

避難所に行くまでの道のりは、今までの地図では使い物になりません
目印になる建物、あるはずの道がなくなっているからです

photo:05



目印になる曲がり角をデジカメで撮影し避難所に行ってもらうボランティアさんには、口頭と以前の地図、現在の画像をつき合わせ行ってもらうしかありません

携帯もほとんど通じなかったので
確実な説明が求められます

何の活動主体がどこでどう運営しているのかの全貌もまだ明らかになっておらず、不確定要素だけが蓄積する日々

コンタクトをとるのも
衛星電話はほとんど繋がらないか、繋がっても受信対応に追われ一日が終わる
リーダーは衛星電話の前で一日が終了していた(笑)

人員が足りないなか
メディアの報道(事実とは違うドラマティックな側面の報道)をみた人が
緊急物資が足りていないと思い
遠くから運んで町にきてくれた
.......が実際には把握した避難所にはほとんど緊急を要する類の物資が行き渡りはじめていた
確かに分配の問題はあったが水や食料は足りていました

その後の経過も書けばキリがないので
これから行かれる方へ伝えたいことを書きます

まず現地から要請なく行くことはあまりオススメできませんm(_ _)m

現地には滞在する場所がありません。
学生のがヒッチハイクできて
ボランティアとしてひとっぱたらきし、最後に
泊まるとこがないので避難所に寝かせて下さいと言ってきた

無論、喝を入れられていました
その晩だけは特別に避難所に入ってもらったけど避難所は被災者が身を寄せ合って所狭しとしてるわけですから

学校に帰ったらコレはダメな事だと
他の学生にも是非伝えてほしいと言われていました

テントで生活しすることも、安全ではないし、テント生活者が増えると治安が悪くなる可能性もありますし
正直テント生活者地震が安全とは言えません

場所によっては物資が過剰になっています
廃棄人員を回すということは他の復興人員が減るということです
この辺はすごく調整が難しいところなのですが

常に足りないのはガソリンですが
ガソリンを運ぶのには危険がともないます

現地の情報を掴むのは難しいかもしれません(現地帰りの人を捕まえるのが1番いいですけど)

また現地にいると外の情報が入って来ない(気にしてる暇もないのが大きな理由ですが)

町行政の電話番号もやっと最近開設されましたが
回線数は数本かと思います

一気に問い合わせるのも混乱のもと

GWに一気に押し寄せれば
幹線だけをなんとか瓦礫撤去した状態ですから
その幹線が大渋滞
本来届くはずの支援が末端避難所にとどかない

さらに町で貴重なガソリンもなくなり
ゴミも増え
通ったばかりの電力も大量につかわれます

.....という事もひとつ考えて欲しい部分です

そう言った事を理解し行かれる方は全てのものを持って大変だと思いますが
気をつけて行ってきて下さいm(_ _)m

水がないですから
衛星面はよくないです
よくアルコール消毒を利用し、感染症などにかからないように気をつけてください
(わたしがいた時はノロが発生していました、避難所を行き来する立場の人は媒介し拡散する可能性もあります。)

行政も大量の受け入れに向け対策をしつつあると思いますが
まだ徐々に機能を取り戻している最中です

町を圧迫しないボランティアのあり方を行く前に考えて見ていただけると嬉しいです(^-^)/

もちろん必要とされるニーズはたくさんあると思います
自分が適任者として行くべきか考えてから行かれる冷静さも重要かなと
わたしは感じました


受け入れ先がきちんとあるか
役割があるかはひとつの判断基準だと思いますm(_ _)m

また、地域のつながりを再生し始めているのも感じます
外の者はいつかは出て行きます
その時に必要な地域のつながりを壊さないようなボランティアのありかたなんかも
きちんと考えつつ活動しなければという事も感じました

緊急性は落ち着きつつあります
ニーズも今生きるためのものから、将来に向けた不安からくるものなども増えてきて
細分化し多元化しています
個々のニーズに答えるための調整が難しく感じる段階でもありました

同じ避難所でも「いる!」と思う人「いらん!」と思う人
切り盛りしている主体の重層化など
現地に入ってぶつかって始めてわかることも多いと思います

その辺は本当に目まぐるしく変化しますから
今の状況はいってみないと分からないというのが正直なところです


それから、これは個々の感じ方かもしれませんが
医療系のボランティアの女の子の中につけまつげばっちり系のメイクの方がいましたが

被災者の女性は、お化粧したくてもできません
ニーズの中に「化粧品」があったのも見ました

緊急性は下がったけど入浴などがこまめにできない中で
バッチリメイクのボランティアさんと過ごすのは私だったらあまり気分がよくありません

やはり女性は身なりを気にしてる方もいると思います

綺麗にしたくてもできませんから

それなのにたくさんの外部の人と接触することは
若い女性の被災者にとっては以外とストレスかもしれません

気にしすぎ?と思われるかもしれませんが
「それどころじゃない!」というフェイズから上がれば
そういったことも気になってくるものだと思います

だから女性ボランティアはその辺も気にかけたほうがいいんじゃないかなぁと思います

たまたまバッチリなボランティアさんがいただけなんですけど

さすがのわたしもギョ!っとしたので
医療系となると直接の接触があるでしょうし

いつもならなんて事ないことでも
外の人間にわからない部分でストレスはかかっていると思いますm(_ _)m

基本ボランティアのみなさんスッピンですけどね
水ないですし


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