また南三陸町の事で熱くなってる私がいる

まだまだ支援が必要とされるなか
最大限の事を考えてしまう

これはいい事であり、悪い事にもなりかねない危機感を忘れないのは大事。

大きな視点を忘れないで、生きがいを感じれる場所に陶酔しないこと

被災者の人にとって復興は日常というところから逃げる事はできない
しかし私は同じように日常として感じているから熱くなるのか?

そうではないかもしれない

師匠からのメールで自分を客観視する

自分という個体から広げていく事を考えること
それが日常にするという本当の意味だった。

わたしが現場でできるだろう事を想像し飛んでいきたくなる。
関わった被災地外の人はみなそう思うだろう。

師匠からのメール
(勝手に使いますw)

「(運動を広げる事で)災害援助が日常業務に組み込まれる。そしたら、Yupiでなくてもよくなる。これはすごい大事なことだ。

非日常の充実、つまり、祭りをもとめるんじゃなくて、日常化しないともたないし、援助にならないよ。ボランティアは犠牲じゃないからね。

よく寝るんだよ。」

私ができる事
私ができる事
私ができる事

ほっとくとそういう思考になる

首根っこ持ち上げられて諭される

私はずっとそこに生きる訳ではない
もちろん関わる機会があれば
それは精一杯やるだろう

だけど、私という個から日本全体に
被災地にコミットする日常システムを作る冷静さを失うと
それは私の祭り=1人よがりになってしまう

ずっとそこで生きる訳ではない私は
システムに想いを譲っていかなければならない

頭ではわかってるつもりで、口ではそう言う
でも結果と言うのは常に「行動」の結果でしかなく
頭でわかってる事を行動に落とし込まなければ
結果は思っているものと違う方へといき
私の体力は失われ持続可能でなくなる


災ボラ症候群(と名付けてみた)

長期的な支援とは日常のシステムに落とし込み組み替え機能させる事

「日常を捧げる」のとは意味が違う
そこを間違えると長期的でも、町のためにも結局はならなくなってしまう

日常に組み替えるってのは
多くの人にシステムを共有してもらうことにある

そこを見失ってはいけない

満足したいのではない
陶酔する場ではない

わかってるつもりでも
チラホラでる

しかし、この日本の復興を本気で進めるとは
そういう事へ尽力できる事なんだろう

自分にとって非日常から「日常」
へと異化したと思っていた被災地へのコミットは
実は日常とはなっていなかった事を思い知る

本当の日常として共有すると言う事は
個人で尽力する以上の人を同じように巻き込みみんなで分け合って持つシステムを作る事、そこへ移行していくこと

そしていつか観光客で南三陸町のお魚を堪能しにいく事

その視点を忘れないでコミットしようと再認識



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