....タイトルの通りです。

ブログを放置するのが恒例となりましたが、愛犬同行のもと南三陸町の被災地支援のため
休学&南三陸町社会福祉協議会の臨時職員として半年の職務で引っ越しました。

$yupi life~31歳本厄独身大学生なう~


無論、仮住まいですが。

たくさんたくさん書きたい事はあるのに
毎日めまぐるしくて、書く時間がございません。


一番書きたい事は「支援」についてです。
予告はしましたが、書ききれません。

「支援」について、一般人も。支援を専門と唄っている国際協力機関
特にNPO等の機関には「支援教育」というものが必要なのではないかと強く感じているという事です。

被災地では多々「あんたら何がしたいねん....。」という出来事が起こり
それに対する処置で足を引っ張られ、復興に時間がさかれるという本末転倒な現象が起きます。

その傍らで、やはり行政とどのように渡り合っていくかも大きな課題です。
たとえ行政といえども、町の全決裁権をもっているかといえば、そうでもない。
また、その決断が正しいかというと、それもそうではない。
町の為にと本気なのか?と問われれば、そうでもない時もある。

福島の問題を考えれば
今の日本国民にもひしひしと感じられている事でしょう。

南三陸町と周辺の被災地との大きな違いは
「町行政機能が壊滅した」という事につきるでしょう。
気仙沼や、石巻も規模で見れば甚大な被害です。それはそれで大変なことです。
それらの地域は被害はあれど、行政職員が壊滅的被害を受けていないといえるでしょう。
地理的な問題が要因ですが。

南三陸町役場は施設もさながら、職員もほとんどが津波で流されてしまいました。
町の一番被害の大きなエリアに、中枢となるような行政施設が沢山ありました。
特に企画課、総務課の課長職以上の方はほとんどお亡くなりになっていて
残ったのは若手の職員でした。
役所に企画課、総務課がないということは
復興計画を立てる行政プロがいないということです。
建設課は確かに建設を担当していますが、何を、どのようにかを考えるのは
企画課の仕事です。

この事に限らず、沢山の問題を抱えています。

復興ムードの報道番組が流れる西側では
福島以外は「復興」段階と感じられるでしょう

時に友人から、「これ以上のボランティアは復興の妨げ=自立の妨げになるのでは。」
石巻に実家のある彼女は「自分たちで家を建て直し、もう人の手などかりていない。」といった。
確かに、そのような地域もあるでしょう。
自立に向けて動き出している事を考えると、とても素晴らしい事です。

しかし、まだまだ「ボランティアや支援者が必要です」
甘えの様に聞こえるかもしれません。現実をみなければ。

震災当初のような瓦礫の山は消え去りました。
町の中心地ではの話しですが。
少しおくにいけば、まだ瓦礫の山や陸に打ち上げられた船はそのままです。
海の中の瓦礫も防波堤内の漁港付近では、県も支援しないとされています。
生き残って、町からでないでいる漁協の人々が片付けなければなりません。
しかし、ある漁協組合では潜水してその作業ができる人材は3人しか残っていないのが現状です。
自分達の力だけで「復興」するのには、どれだけの時間がかかる事でしょう。
その課題が解決されなければ、漁業の復興は望めません。
年間の水揚げ量を考えればっ数十億円の損害となり、彼らの生きる手段を絶つ事になります。

それを回避するため、ボラセンスタッフがダイバーとして水中清掃事業を企画し、漁協の人々と協力し港湾内に沈む船や、自動車を引き上げています。

これらは現地にいる事で知り得てしまう事のほんの一部です。
実際にはこの100倍くらい目の前に課題が積み上がっています。
これを「甘え」の一言で片付けるのはなかなか難しいことです。

他の被災地にも、その地のもつ被災の特徴により
様々な問題があるのでしょう。
それは、そこで生活する事でしか知り得ない事もあるのでしょう。

だからこそ、生活していない全国の心ある支援者に対し
きれいごと、エゴの支援ではない支援の仕組みを考えなければならないと思っています。

先日、支援者の一人であるゴスペラーズの北山陽一さんとお会いし
被災地支援について、いろいろと話し合う時間を設けて頂きました。
北山さんにお会いして、背中をそっと押してもらった気がしました。
「被災地支援」と一言にくくってしまう支援から
さらに一歩進んだ実効的で配慮のある支援について、とても考え行動してくださっている方です。

北山さんの連載です
私たちの抱える問題について考えてくださっています。
http://eco.goo.ne.jp/life/mylife/g_79.html
http://eco.goo.ne.jp/life/mylife/g_80.html

そんな時間が持てた事も、自分の今の決断に自信がもてた一因です。

ここに書いた事は本当にごく一部のことです。

被災地外の人々とここにいる同じ国民である人々をつなぐ「架け橋」をつくることが
まだまだ必要です。

単にマンパワーが必要という意味ではなく。
被災地外だからできる後方支援とリンクさせるため
「支援」という考えをそっくり変える必要があると思っています。
そこが機能してはじめて「架け橋」となる支援ができるのでしょう。

これまではマクロに被災地におおざっぱに支援が必要でした
現段階では、自立に向かい歩き始めているところと
スポット的にみた支援が必要なところがあり
そのコントラストで、必要な支援も具体的に浮かび上がってくるはずです。
おおざっぱで効果のあった段階は終わりました
今後はミクロな支援について考えていかなければ方向違いの支援となる事が伺えます。

現場の人間しかできない事は現場の人間がやるしかありません。
だから、現場の人間としてできる事をやっていきます。
「現場にいないからこそできる協力モデル」を形にするため
明日も明後日も頭と体を使います。
誓います。

ここでの経験は結果的に成長に繋がってしまいます。
判断と実践を通常の仕事の何倍ものスピードで
かつ、正確さと公平性をいっぺんに求められます。

もまれています。

個人の長期ボラもそれぞれの事情で
泣く泣くこの地に別れをつげています。
本当に感謝しています。

とりあえず今日はここまで。



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