2月半ぶりに東京へ帰った。

今回帰ってきて
「あっちの人」とまではいかないが「こっちじゃない人」となっていた事に気づく

私が繊細になり過ぎているのか

今の職務は限定的なものだから地元の人間として何かをしているのとは違う
あくまで、ベースは関東で単身赴任の身

久々に帰ったベースの心地よさを味わおうと思ったら

あんまり心地よくない

おかえりと迎えてくれる人も何人かいたけど
それよりも、あまり温かく迎え入れられてないことの方が
印象に残ってしまった

何か怒ってんのかな?と友達に感じたりもした
なんだったのかは謎


そこがスタートで
なんかそこからずっと落ち着かなくなってしまった

今のわたしはあっちでもこっちでもなくて帰属してるとしてもそれは形式的に過ぎずという要素が大変多い

東京のコミュニティも
いなくなるとこんなもんかーという感じで
人肌を感じれない自分がいた

あっちでもこっちでもない事に気付いてそのフワフワ感にむっちゃ不安になる

とはいえ、このフワフワ感は多分春先まで続くと思う
だからフワフワ感に不安にさせられないよう対策することの方が大事

今朝は体調が微妙で
約束してた師匠お手製和食フルコースを食べ損ねた

師匠にこの事をメールした

あっちでもこっちでもよそ者感というのはわかる感じする。人間一人よ。で、一人じゃないのよ。不思議だねえ。

....と返信がきた。
うん。不思議だ。


夕方友達が駅までお見送りに出てきてくれた

実は彼女によって救われた感じ
フワフワをとりあえず紐でぐるぐるして彼女の胴体に縛ってくれたとでも言おうか

誰でもない私にならないよう、「彼女と意志を共にするわたし」と看板をぶら下げてくれた気がする

もしくは「この子はうちの子です」って



とりあえず出発前に彼女にあってバランスが保たれた
フワフワ浮いてはいるがどこでも飛んではいかない
ホッとした

彼女はきっとわたしの「声」を聞いてくれたんだと思う
わたしの発する言葉ではなく、言葉で練り上げて見せるしか方法を持っていないけど、それでさえ伝えるのは不十分な心の奥にあるもの

具体的にそういう話をしたんじゃないんだけど
なんてことないいつも会話を通して「声」を受信してくれているのがわかる

彼女はわたしを感受できるスイッチがONだった
「2人で会う」んじゃなく「わたしに会う」つもりで来てくれたんだなって

わたしには、そういうのが必要だった
出発ギリギリでその環境を用意してくれた彼女に感謝だ