人は生まれながらに徳をもってる人、ない人が存在する。若しも仮に誰もが持ってなくても生活は維持出来る。                                                 社会的評価も=====徳には=====実は関係がない。                     学生、大人にとって成績、肩書き、資産(お金の量)等で社会全般が評価の対象になりえる。又、それを目指して知恵の部分の有利性の向上だけでその人の心の他者との利益共用のみ、つまり自己中心的思考のみで判断、実行する。===========自分勝手、まがまま、自己中心、依存性、依頼心、協調性の欠如でも生きていける地獄そのものの社会が存在する。                        待っているのは自己崩壊、自滅それすらわからない夢遊病のように目先の欲求の追及。何かがおかしい、おかしくなってきている。煩悩は絶えない、黄泉(よみ)の国へいってもなおらない。無間地獄の連続。

肩書きのぶら下がり、美貌(容姿)の追求、金銭の多さに対しての憧憬、面子、対面、過去の自己の実績の羅列。それらには外面(そとずら)の体裁(ていさい)だけで内面(メンタル部分)の充実は皆無(入っていない)そう精神世界には無用の世界だけだ。

気ずき、思いやり、寛容、優しさ、平等性、人格など精神性の充実が徳をもたせ品格の向上になるのではないだろうか。実際、天からの命でさまざまなところで===(事故や病気などで)===ブレーキをかけられている自分自身にはやく気ずいてほしいものだ。頂点、頂上をめざしてがんばるのだが人は下りがある事を忘れてはいけない。         合掌
                                           
                                          祐尚