お早うございます、祐尚です。

土曜日は孫の運動会でしたが、この雨で中止になりました。でも、明日に延期です。

私の父親の大正、昭和の初め頃、運動会は十一月三日(明治節)、今の文化の日だったらしいです。

時代が変われば運動会の日も変わる。昔はいちだいイベントだった。ござを敷き場所とりの為に

朝早くから両親達は頑張ったものです。


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《仏教とは各々の人格の完成を目指すものである。》

仏教の分類


顕教(けんきょう)・密教の分類は弘法大師空海の真言密教等の分類。

密教=仏教の真実義は仏の自内証の秘密に属するので、これを言語に表現する事が出来ない部分。

顕教=密教以外の言詮されている仏教を指す。

自力教・他力教の分類は親鸞などの浄土教の説であって

他力教=阿弥陀仏に絶対に帰依信奉する往生浄土の教え。

自力教=自己の精神努力によって完成をはかる聖道門(しょうどうもん)の教え。


A 二乗・三乗による分類

仏教では二種に分けて二乗とし、又は三種に分けて三乗とする事が出来る。

二乗(にじょう)とは、小乗と大乗、又は声聞乗(しょうもんじょう)と菩薩乗(ぼさつじょう)である。

この内、小乗(しょうじょう)とは声聞乗の事であり、大乗(だいじょう)と菩薩乗は同じであるから、

【小乗】と【大乗】も【声聞乗】と【菩薩乗】も同じことを意味する。


乗=yana、乗り物の意味で仏教では、人びとを迷いの彼岸(ひがん)=[現実界]から
悟りの彼岸=[理想界] に渡す乗り物で仏教を乗り物に喩(たと)えて【乗】という。

尚、二乗の用例には大乗・小乗・声聞乗・菩薩乗の他に、小乗そのものを二乗という事もある。
この場合の二乗とは、声聞乗・縁覚乗(えんがくじょう)をいう。(これは、三乗の中の初めの二つ)。

三乗=声聞乗・縁覚乗・仏乗の三つを指す。

縁覚乗=Pratyekabuddha-Yanaは辟支仏乗(びゃくしぶつじょう)ともいう。
縁覚=Pratyekabuddha,paccekabuddha)は音訳で辟支仏とされ、又、独覚とも義訳される。
意味は、他の教えを聞いて悟る声聞と違い、他からの教えによらず、自ら縁起の道理を観察する事によって悟りを開くとされる。又、他を救済する仏陀と違って自分だけの悟りを目的とし、山林に
隠遁(いんとん)して世を離れ、世の人びとを指導救済することをしない独善者であるとされる。

縁覚思想=釈尊が菩提樹下において縁起の道理を観察して正覚を成じて仏陀となった後に
数週間は禅定思惟(ぜんじょう しゆい)を続けて成道の楽を享受して居られたが、その時の釈尊は、
自分が悟った縁起の道理は極めて難解なものであるから、これを世人に説いても、おそらく、
理解されないであろうし、したがって人々に説いても徒労であろうから、むしろ説く事を断念し、
このまま隠遁してしまおうかと考えられた。とされる。
この時の釈尊の状態を【縁覚】といったものであろう。今日はここまで次回十月十日以降に続きます。

合掌🙏合掌、感謝、

ノウマク サーマンダ ボタ ナン バク、、、、、、、釈迦如来の真言、、、、七遍。