おはようございます、祐尚です。

台風一過、選挙もバランスを考えて一件落着。旧民主党が分裂、野党第一党。

実績のある議員、顔見知りの議員が当選。何でこの時期にパリに居る?都の税金で、都知事の権限でフランス?おかしいと思いました。とすると、日本は、議員が入れ替わっても、
関係なく、物事が進んで行く。有権者の知恵かも知れません。全てに中庸な事。賢明な判断だった。 人は権力と財を持てば、傲慢になり客観性がなくなり、最期は自滅しかない。と思う。


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伝に寄れば、釈尊は、成道後の坐禅思惟によって自らの悟りをされたが、縁起の道理は、いかにも
難解で世の人々に説いても理解されず徒労に終わるであろうと思い説法をする事を断念された。
《これを誤謬(ごびゅう)という。》
其の時、梵天が釈尊の前に現われて、是非に説法をされる事を願い、若し、説かなければ、
世間は、益々堕落するであろう。難解でも多少は理解できる者達がいるであろうから説法をして
下さいと懇願をした。とされる。釈尊は、説き方を工夫して四諦説を考案されたのである。



釈尊は、成道後、数週間の坐禅思惟から立ちあがって、法を理解し得る適格者を五人の比丘たち
のいるベナレス郊外の鹿野苑(ろくやおん)に向かい、彼らの為に最初の説法をされた。
これを初転法輪(しょてんぼうりん)という。この説法で言われたのが四諦の教えである。
故に四諦の教えが釈尊の最初の説法で説かれたものであった。



四諦説とは、

『比丘らよ!生も苦である、老も苦である、病も苦である、死も苦である、

恐憎い(にくい)人々と会うのも(怒憎会=おんぞうえ)苦である、可愛い人々と離れるのも

(愛別離)苦である、求めても得る事の出来ない(求不得=ぐふとく)のも苦である。

要するに、取著ある身心環境は(五取薀=ごしゅうん)苦である。これが、苦に関する神聖な

る真理である。ーーー【苦聖諦(くしょうたい)』】


『比丘達よ、輪廻再生に導き喜びと貪り(むさぼり)を伴い、至る所で、

喜び楽しもうとする熱愛欲求(渇愛)---欲愛・無愛・無有愛ーー苦の集り(原因)

苦の生起の原因に関する神聖なる真理ーーー【苦集聖諦(くしゅうしょうたい)】』

『比丘達よ、熱愛欲求(渇愛)を残りなく離れ滅し、捨て遺(や)り脱して無執着となる

ことは、[真の理想で目的である]

苦の滅に関する神聖なる真理である。ーーー【苦滅聖諦(くめつしょうたい)】』


『比丘達よ、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定
(しょうけん、しょうしゆい、しょうご、しょうごう、しょうみょう、しょうしょうじん、
しょうねん、しょうじょう)
という八つの部分からなる神聖なる道(八支聖道)こそ[理想達成の方法である。]

苦の滅に至る道に関する神聖なる真理である。ーーー【苦滅道聖諦(くめつどうしょうたい)】]

四諦

苦諦、、、、自覚なき苦悩の現実世界、、、果
{流転縁起}
集諦、、、、現実世界の原因理由、、、、、因

滅諦、、、、自覚ある理想世界、、、、、、果
{還滅縁起}
道諦、、、、理想世界の原因理由、、、、、因


四聖諦Cattari Ariya-Saccani)といい、苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦滅道聖諦の四つとなる。

ここに、聖Aria,ariaとは凡に対する語であって、無漏出世間の悟りを指し、生死輪廻の有漏迷妄

の三界世間を超えたものである。

四聖諦は、略して苦・集・滅・道の四諦といわれる。

これらは、【流転縁起】と【還滅縁起】の二つを説いたもの、、、、、次回投稿。


四諦は、人々の苦しみや悩みを癒すための原理を説いたもの。

人々の苦悩は精神的病気であって、肉体的病気に対するのと同じ原理で治癒される。

釈尊は、一切の苦悩を治癒すとも言われている。


合掌、感謝、許し、


オン アミリタ テイゼイ カラウン、、、、阿弥陀如来の真言、、、、七遍。