こんにちは、祐尚です。

シナの般若心経に出て来る阿耨多羅三藐三菩提とは修飾語を全部略して【菩提】となる。

煩悩から自由になり『空』を悟る、境地の事。

菩提心(ぼだいしん)=人間が本来持っている悟りを得たいとする本性でもある。

又、菩提心は如来蔵(にょらいぞう)とも呼ばれる。

如来蔵=サンスクリット語でタタギャタ ガルバ。という。

タタギャタは如来の事でガルバは『子宮』とある。

子宮であると共に、其の中の『胎児』であると解釈され、いずれ『仏になる種』と考えられた。

未だ、煩悩に隠れているが、やがて煩悩を払い悟りへと向かう、人は誰もが、生まれながらに

持っている心の事を指す。

般若心経の他に、如来蔵経(にょらいぞうきょう)という経典がある。

主に仏性を説いたものである。

『我々は、時に、自然な気持ちで心と接する、思い浮かべる、そこには、ある種の純粋な

心が存在する。それが仏性なのです。

我々は、信じる。全ての心、全ての人の心、一切の生きているものの心、其の心の究極の本性は、

澄み切っている。』

そうであるならば、全ての苦しみ迷う感情は、其の心から本質的に“離れて“いる。

悪しき感情は、全てが“無知“より生じる。無知とは、【現実を間違った方法で捉えたものの事。】

【現実を誤解する、正しく認識しない。】

無知の間は、空の体験も概念も体得が出来ない。

でも、前述の様に、人は、仏性を持っている。自分の無知さが、ある時、解れば、

自己からの解放が出来て悟りへと段階は、人格は、進む。
(事実、進まない人も、僧侶を含めて実に多い。)


合掌、感謝、阿耨多羅三藐三菩提心。合掌。