こんにちは、祐尚和尚です。

縁起には、一般的縁起=外縁起と価値的縁起=内縁起の二つがある。

仏教で必要なものは、価値的縁起である。しかしして、その基礎として或いは譬喩的(比喩的)に説明するものとして、一般的縁起が説かれる。前述のこれあり、あればかり云々がそうである。

社会・人生のあらゆる動きは、縁起の法則に従って生滅変化している。しかし、今日の学問からは

現象の論理的、心理的、生理的、物理的、科学的、政治的、経済的、宗教的、倫理的などの諸方面

からの因果関係などの動きの法則を研究するものでもある。事実、世界の諸現象関係を明らか

する為のものではないのである。


仏教では、苦楽、迷悟などの人間の運命に関する社会・人生の宗教的・倫理的な現象の動きを

正しく知る為に縁起を説いた。


例えば、一個人の存在についても、その人の現在は、その人が今までに経験してきた全てのものの

総和から成り立っている。その人が、この世に生まれから後に種々なる環境のもとに養育され、

いろいろな家庭的・学校的・社会的な教育を受け種々の人達と接触して来たのである。

其の時々のあらゆる経験は、決してそのまま消滅するのではなく、何らかの形で其のひとに保存

されている。其の時々、刻々の経験の善悪に従って、其の人の性格を善い方にか悪い方にかに

変えて行き、其の人の人格を形成する。我々の人格としての知能・性格・体質などは、

我々が生まれてきた後に時々刻々に経験して来たものの総和である。周囲の環境、学友、先輩、教師、からの影響で人格が形成される。社会人でも、然りである。




漢文より、『あるいは、仏陀があらわれようがあらわれなくても、この法は、

常住・法住・法界であり、彼の如来は、自らを悟り、この上ない智慧を得た内容を人の為に説き、

示し、明らかにする。「無明に従って行があり、乃至、生に縁って老死がある。」と

中略ーこれらの諸法の法住・法空・法如・法爾、法不離如、法不異如、明らかなる真実(諦)にして

誤りのないこと、このように順して縁起すること、これを縁生法というのである。』
『若仏出世 若末出世 此法常住 法住法界 彼如来自所覚知 成等正覚 為人演説 開示顕発

謂縁無明有行 乃至縁生有老死。ーーー中略ーーー此等諸法 法住法空法如法爾 法不離如

法不異如 審諦真実不顛倒 如是随順縁起 是名縁生法』



🙏🙏🙏合掌、感謝。完。