ピーターパンをやるらしい。ピーターにはお母さんがいない(正確には合えない)。

「優しい母さん一人でいいからほしいのさ」って歌うそう。悲しいね。

卒園を迎えるのと、悲しい歌とで、泣いてしまうかも。

でも、子どもの晴れ舞台、しっかりピーターパンやり遂げるのを、見守ってあげる。家族みんなでいくぞ。


調べてみたら、次のとおり。

ピーターは、生後10日で家を飛び出し、ケンジントン公園に住みつく。途中、ピーターは、2回お母さんのもとに帰る。一度目は、窓が開いていて、ピーターを恋しく思っているお母さんが泣いている。ピーターはお母さんが自分のことを覚えてくれていて、自分がいなくなったことを悲しんでいる姿を見てすっかり嬉しくなるが、「お母さんのところにだったら、いつだって帰ってくることができるや」と思って、また窓を飛び出していってしまう。ピーターにとっては、お母さんといるよりも、妖精たちと遊ぶという自分の楽しみの方がずっと大事だったのだ。

ところが、二度目に行ってみると、お母さんには新しい赤ちゃんができていて、部屋の窓は固く閉まり格子戸までが付いている。ピーターは悲しくなりお母さんが自分を締め出したことを恨むが、お母さんにしてみれば、今度の子までもいなくなってしまったらたまらないという思いなのである。ピーターを締め出そうという行為ではないのだ。 この出来事をピーターは『ピーター・パンとウェンディ』の中でも語っているが、永遠の子どもであるピーターの子どもらしい自己中心的な考えがとてもよく表われている部分だと思う。



お母さんのいない子供はいない。ピーターパン、みんなががついてる。