『私はママを選んで生まれてきたんじゃない』
この言葉は私が反抗期に何度も母親に浴びせた言葉です。

今の年齢になって、四度の流産を経験し

ようやくこの言葉の深すぎる意味が理解できたように思います

自分が流産をして、ブロ友さんや自分の家族に

いろんな言葉をかけてもらいました

その中で感じた事は、赤ちゃんは、

親を選んで生まれてきてくれるという事。

ある方に

『今まで4度妊娠できたのは、赤ちゃんがそれだけあなたに

会いたがっているということ。だからあなたは幸せだよ』
と言われました

皆さんに声をかけて頂き、色んなを気付く事ができました





うちの母は、

結婚するまで海外でほとんどを過ごしていました

日本語なんてほとんど喋れないまま

うちの父親と結婚をしました

父親もすっごく外国語を勉強し

母親も日本語をすっごく勉強し

ふぃーりんぐの恋愛だったんだろうと思います

なんだかステキニコニコ


結婚した時は勿論、仲の良い友達も居ませんでした

頼る人は父親しかいませんでした。



なので

私たち兄弟に対する思い入れはすごくて、

いわゆる過保護家庭だったと思います



毎日仕事をせっせと頑張っても

家事や子供との時間をおろそかにしたことなど

決してありませんでした。



そんな偉大な母が大好きです


もともと私の家族はそこまで仲の良い家族ではなく

父と母はあまり仲がよくありませんでした


でも

父が定年を見据えたころ

母と父が向き合いだし、とてもよい家族に戻っていくと思いました


母も父の大好物をよく作り

母の料理を

味見と言いながら

大量に食べてしまう父

それを見て笑いながら怒る母


なんだかそんな光景が私にとっては

待ち望んでいたものでした





でも

そんな矢先

突然

父は意識不明になり帰らぬ人となりました


誰よりも優しく

誰よりも人に迷惑をかけたくないという父は

意識朦朧の中で

私に

『大丈夫だから大丈夫だから救急車はいらないから』

と言いました


それが最期の言葉でした




うちの父親が亡くなったとき

母は1度しか泣きませんでした


病院に運ばれた時も

通夜の時も

お葬式の時も

火葬の時も

涙を流しませんでした


ただ一度泣いたのは白い布がかぶされたときだけでした


母は悲しくないのか

と思ったこともありましたが

あとあと分かりました。

『私が泣いたらあなた達がもっと辛くなるでしょ』

と。

この言葉に全ての想いが詰まっているんだと感じました


間違えなく、

一番泣きたかったのは

母だと思います


でもわんわん泣き叫ぶ私たちを見て

この子たちを私が育てていかないといけないと

強く心に誓ったんだろうと思います



うちの母は

こんな母親です


私なら

できない


優しくて

誰よりも理解が合って


言葉が通じなくて

苦しんだこともあっただろうに

でも

それを相談する人もいなかっただろうに。

その上、2度流産し。


私たちには精一杯の愛情で育ててくれました

私がしてきた苦労だけはさせたくないと

何不自由なく

過ごさせてもらいました



なんだか

この年になって気付くのも

遅かったかもしれないけど


母親に

きちんと感謝の気持ちろ伝えよう

きちんとひどい言葉を浴びせたことを

謝ろう・・・

最近しみじみそう思います


旦那曰く

『それが大人になったっていう証拠やで』と。

私もやっと母親にほんの少しだけ近付けたかなと思います