意志こそが運命を変える |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

<千の果実こそエデン>の続編です。

ところで!
ここで、とっても、とーっても、重要なことがあります。

集団の中における運気の作用には、二つのありようがあるということまで行きましたね。
一つは?
そう。運気の同調化です。このプロセスは、核となる存在があり、その周囲に核に同調できる人間だけを集め、そうでない人間を排除してしまう作用で、一個の何らかのグループやとくに小さな会社の中では起きがちです。スタッフがそういった同調化した人間ばかりになると、あるときバイオリズムの波形が一致するように、それがシンクロしたときにその組織全体に破局を招来してしまう原因となります。
もう一つは?
運気の協調化です。この下では、多様な運気、多様な人格、多様なコンディションの人間が、同一の職場や環境の中で共生できます。存在を許されます。なぜなら、互いを認め合うからです。この状態を維持できるグループ、組織は本質的にタフです。一挙に運気が片方に偏るということがない。結果的に全体的な破局というのも招来しにくい(むしろ避けて通る)と考えられます。
重要なこと。

いいですかぁ。耳の穴かっぽじいて、よおく聞いて下さいよ。
同調化は人間が無意識に生活している中で、ごく自然に起きてしまいます。どんな小さなグループにも。主婦たちのちょっとした公園集会にも、趣味の集まりにも、中小企業にも、そして大企業や国家にも。
しかし、協調は絶対に無意識ではできないのです。嫌いな人間、合わない人間、自分にとって有益でない人間、そんな存在まで認めるというのは、絶対に意識的にでなければできないことなのです。

つまり逆に言えば――(こここそが重要)。
意志を働かせることによって、運命は変えられるということなのです。
そうしようと意識的に、自分にとって認めがたい人間、許し難い人間まで、その存在を認めることができたなら、その人と自分の未来は確実に変わります。言ってしまえば、当たり前のことなのですが、その当たり前のことがなかなかできない。
そして――
究極的には、全体の運命さえ個人の意志で変えられるということなのです。

いいですか? このように考えてみて下さい。
たしかに占星術的にも、墜落する飛行機の乗員乗客の多くには、その墜落する時期、かならず凶運が巡ってきていると考えられます。そうした全員の運気がシンクロした先に「墜落」という現実が引き起こされます。
しかし、飛行機が墜落しても、中には奇跡的に助かる人間もいます。
その人の運気は、もしかするとまったく悪くなかったのかも知れないのです(その場合は全体的なベクトルに巻き込まれたと考えられます)。あるいは九死に一生を得るような運気だったのかも。
どちらにせよ、確実に言えるのは、その飛行機に乗った人間の運気の多くは、破滅的なものだったかも知れないが、希に救われるケースもあるのだということです。

とすれば、世界のほとんどが破滅するような状況になっても、生き残る国があっても不思議はないのです。
その一国だけは、世界的な運気の同調化に巻き込まれず、九死に一生を得るかも知れません。
一国だけでも救われると言うことはどういうことでしょうか?
現在、地球上の核兵器がすべて使用されたら、人類は確実に絶滅すると言われています。
一国だけでも救われると言うことは、その時点で核兵器の使用もいくらか限定的なものになるはずです。
つまり一国だけでも救われるであろう運気を作り出すことに成功すれば、それだけ全世界的な滅亡は回避されるのです。それだけでも大変なことです。一国助かるということは、他にも助かる国が必ず出てくるはずです。たとえば日本以外全部滅亡なんて、まあ、あり得ない話です。

これがもし、二国三国と増えれば……?
当然です。それだけカタストロフ(破局)は限定的なもので終わります。

つまり、どういうことなのか?
私たちが希望を捨てず、まず自分のまわりからやっていけばいいということです。
今自分の隣にいる人のことを認め、許し、そしてできれば愛し、「協調」の関係を作り出していけばいい。その小さな努力の積み重ねの先に、結局のところ、国家や人類の命運も左右されてしまうと言うことです。
私たちのまわりはものすごく小さなエリアでしかなく、そこをどうこうしても何も変わらないように思えます。しかし、それは違います。たとえば一つの県だけでも、あるいは市や町だけでも、そういった協調の運気を保てたら、たぶん日本全体の命運は変わります。
町といったら、もう私たちのエリアです。
まずは家族、次に友人、次に仕事関係、そういったあなたが接しているところから始めればいいのです。そういった動きが一つ二つと増えていけば、どこかでそれがつながり合って、これも加速度的に勢力を強めると考えられます。

大きな破局がやってくると、破滅が来ると、これからも声高に叫ぶ人は大勢出るでしょう。

それでも私は言います。
変えられる、と。
そんなものは何も決まっていない、と。
そのような予言に惑わされ、絶望したり、無気力になったりすることが一番まずいことなのです。
この点については、また次回にまわします。

私が「○○しなければならない」とか「○○はいけない」というのも、一種の統制につながりかねないので、あまり褒められません。まあ、私の意見などなんの影響もないと言えばそうなのですが(笑)。
あと、いかに「協調」が大事だとはいえ、なんでもかんでも受け入れるというのは間違いです。
たとえば企業は、最低社員を養っていく利益を上げなければなりません。その利益を著しく害するような社員がいて、いくら言っても直らないというようなケースでは、社長は責任ある決断を下さなければなりません。
たとえば私が主宰しているZEPHYRは、「小説を創作する」ということを目的にした集団です。それもプロ・レベルの創作を行おうとしています。
ならば、なんでもいいから愛好家をすべて受け入れていけばいいのかというと、そんなことをしたら収拾がつかなくなってしまいますし、またZEPHYRの創作は共同作業ですから、スタッフの中にまさにこの「協調」を破壊するような言動を取る人間がいたら、私はこれを除名なりなんなりしなければなりません。
ZEPHYRに関して言えば、この集まりは言ってみれば私の専制君主制みたいな形を取っています(小さな組織ですし)。多くの決定権は私にありますが、これは会の方針をぐらつかせないためでもありますし、実際、創作の現場においては各人に自由にやってもらっていますし、さかんに意見交換も行っています。
またこのような論述を行うとは夢にも思っていなかったのですが、2005年の会の創設以来、私が無意識にとってきた方針の一つに「イエスマンは集めない」ということがあります。つまり私の意見なら何でもOKという人間ではなく、反対意見の提案や違った見方ができる人間を、意図的に選択してきたのです。つまり、結果的にですが、これも同調化を招かない方針だったわけです。
ZEPHYRのコンセプトはまさに「協調」にあり、今は非常に順調と言っていいでしょう(作業は遅いですが、それは私の責任でもあります)。

といったところで一区切り。
まだこの2012年問題の記事は続きます。
そのときにどんなことが起きるのか、自分なりに考えてみようと思います。ちょっと時間はかかると思いますが。
また世界の命運は、個人の意志で変えられる(というよりも個人が意識的にならなければ変えられない)ということが、私が皆さんに送りたいメッセージの中心部分ではありますが、占星術には「その世代が持つ運気」というものもあります。こういった部分も、これからは取り上げていきたいと考えます。

気が付けば、もう24日。そろそろ来月の占星術予測を出さなければ。

最後にコメントレス。
Jinja129さん。
難しくなってスミマセン。わかりやすく書こうと思っていたのに、たしかに難しくなってしまいました。

青木泉さん。
たしかにこの先の北朝鮮の動向は、気になりますね。これまで以上に注意してみていくつもりです。

Hiromi.Kさん。
そうですか。まだ「実践占星学」、ありましたか。私はいまだに何かあると、それをひもとくことがあります。子供の事件は、本当に胸が痛みますね。フィンランドの学校では、昨日、銃乱射事件が起きて犯人の学生は自殺しています(9人死亡)。これは幼児ではないですが、やはり冥王星効果(無差別殺傷)だと思われます。「協調」ということさえあえれば、こんな事件はあまり起きないはずなのですが。