我が家のサンタさんから息子へ。

今年のクリスマスの贈り物。


そのうちの一つが↓の本でした。



すくすくまいにち


サンタさんは、何を思ってこの本を選んだのでしょう?


息子に読んであげるとき、声がうわずってしまう自分がいました。


4才の息子、この本の内容をどこまで理解したかはわかりません。


ですが、私には、いろいろと思い当たることがあって、

考えてしまいました。


ネズミくんが大好きなゾウさんにしてあげたこと。

別れを(それはきっと永遠である)覚悟で、

ちゃんとあちらの世界に旅立つことができるように、

そこへつながる壊れたつり橋を直してあげるのです。

「だいじょうぶだよ、ゾウさん。」と。


この行為、ある程度生死について成熟した思索をふまえていないと、

なかなかできないように思います。


ネズミくんも最初はゾウさんがあちらに行くことを

受け入れられませんでした。


いざ自分の大切な人に、病や老いで死期が迫ったとき、

あちらに行かないように引き留めようとは懸命にしても

その人が穏やかに旅立てるように手助けして、

見守ってあげられるでしょうか。

いや、そうしてあげられなくてはならないのだろうけれど。


そんなことを考えてしまったのでした。


そして、いろいろと思いあたることがあって、

乱れたこころの平静さを装うのに精一杯で声がうわずったのでした。




この本は↓、とある大御所の小児科Drがお勧めされていたので

昨年だったか購入したものです。


同じく「死」をテーマとして取り扱っています。


アナグマさんは

「長いトンネルの向こうにいくよ」といって、あちらの世界に行くのですが、

長いトンネルをくぐっているあいだに、老いた体が、

みるみる軽く自由になっていくのです。


この、旅立つ際には自由になるというepisodeが好きです。


すくすくまいにち

2つの絵本に共通なことは、

「死」を暗く悲しいイメージだけとしては描いていないことです。

それは「死」に向かう者にとって決して忌み嫌うものではなく、

むしろ「ラクになれる」ことであるとしてpositiveに描かれています。



2つの絵本ともに、短いページの中に、

たくさんの示唆に富むメッセージが込められています。


息子と、折に触れて何度も繰り返し読んでいきたいと思います。




もうひとつ、別の話です。


上の本を紹介されていた先生がかつて担当した

重い病を背負った小学校低学年ほどの女の子のepisodeを紹介されました。

父と母と一緒に必死に治療に向きあう中、どれも効果が認められなくなり、

最後にDrから治療法について二つの選択肢を提案されたそうです。


父と母はそのうちの一つを娘にとって「最善」として選んだのですが、

結果それもうまくいきませんでした。


「ごめんね」と泣く父・母に対して

その女の子は

「私のことを一番知っているのはお父さんと、お母さんだから。

そのお父さんとお母さんが選んでくれた治療が一番よかったんだよ。

私はだいじょうぶだよ。」と励ましたそうです。


まもなく、女の子は亡くなりました。


会場には、鼻をすすり、ハンカチで目を拭う人。

紹介された先生の声も涙声になっていました。


どんなに、「死」がpositiveなイメージを纏おうとしても

「死」に至るまでの一連の過程は、

決して苦悩や苦痛のかけらもないような平坦な道のりではないでしょう。

誰にとっても。もちろん送りだす側にとっても。


老いて病になり、やがてこの世界を去りゆくことが避けがたいことだとしても

幼い子どもが「死」に直面させられる。

その理不尽さを想像するだけでも、耐え難いことです。







2009年私自身は何とか大きな不幸もなく締めることが

できそうなことに感謝します。


2010年たくさんの人、そして子ども達が笑顔で満たされますように。



よいお年を。