先週の金曜日、3月18日、保育園から職場に電話がありました。

遊んでいる最中に転んで、左腕をぶつけたとのこと。

病院に連れていこうと思う、とのことでしたが、

腫れてもいないようだし、様子をみてもらうことにしました。


帰ってくると、左腕は痛いから動かせないといいます。

ジャンバーもママが脱がせて、

痛いから手も洗えない、

痛いからママ食べさせて、

痛いからお風呂も入れないと・・・。


ぐずって、床に転がり手足をバタバタ・・。

しばらく見ていなかった光景です。

まるで、赤ちゃんがえり。


翌、土曜日も腕は痛いからと

自分から左腕を動かそうとはせず、

着替えの時に少し触っただけでもメソメソ。

少し心配ながらも、関節はしっかり動くし、

赤みもないので様子をみていたのですが、元気がない。

その晩は、入浴後WIC内でウトウトと寝てしまったので

夫と私で抱き上げて、寝室に連れて行き、

ベッドに寝かせようとしたところで、目を覚ましました。

すると途端に恐怖で引きつった顔をして、

「ママ、ママ、ママがいいんだー。」

私に任せ、部屋をでていこうとするパパをみて、

ママいかないでー、だめなんだー」と突然泣き叫ぶ。

ママもパパもいるから大丈夫だよ、

と話しかけても、すぐには泣きやまず、もうパニックです。

その晩は、ママにしがみつくように抱きついて

ようやく眠りについたのですが、

夜中も何度かうなされていました。






3月11日。



いままで感じたことのない様な、

大きく不気味な揺れ方で、

反射的に、この近くが震源地だろうと感じたのですが、

実際は遠く離れたところでした。


東京もずいぶんと混乱しているらしいと耳にした当初、

頭にあったのは、

12日の予定でofferのあった東京出張は

断っておいて正解だったな、だとか、

今日から東京入りする予定の上司は

無事到着できるのかしら、

などともっぱら呑気なことだけでした。


ところが帰宅して、

スイッチを入れたテレビに映し出されたのは、

まるで映画の中のことのように信じ難く、

目を覆いたくなるような痛ましい映像の連続で、

翌朝も出勤だというのに

緊張と不安でテレビやパソコンの前から

ほとんど離れることができないまま

夜明けを迎えてしまったのでした。

思えばここ1週間余り、

家庭内での話題といえば、ほとんどが

震災や原発に関することだったように思います。

私たち夫婦は、

物質的には全く今回のことで影響を受けていないのですが、

とはいえ、同じ日本におこった出来事のこと。

精神的に余裕のない日々でした。


こんな有様でしたから、

大人達から聞こえてくる会話や、

新聞・テレビで目にする映像から、

不穏な雰囲気を五感で感じ取った幼い心には、

漠然とした不安と恐怖が蓄積していったのでしょう。

それが、冒頭の

腕が動かせなくなるというカタチで身体化し、

夜間のパニックとして現れてしまったようです。


ここにきてやっと親も反省し、

迎えた昨日、日曜日。

ぐっすり寝て起きた後はいつの間にか、

左腕も動くし、痛くないということになり一安心。

米が品薄らしいこともあり、

パン屋さんへのお使いをお願いすると、

「今日、パーティーしよう!パンパーティー!

生ハムとチーズも買ってさ!」と息子から嬉しい提案

をもらいました。


久々にリラックスしてあどけない笑顔に触れ、

テレビのニュースのかわりに、

「パンパーティー」の準備を手伝う

かわいらしい鼻歌に耳を傾け、

息子のたどたどしくも勇ましいかけ声で

乾杯した三人。

なにげない日常のシアワセのありがたさをかみ締めた、

そんなひとときでした。





3月11日以降、

非日常が日常となってしまった

現実を甘受する幾多の人々の傍らで、

変わらない日常を生きていくということに

罪悪を感じることは、自然な感情なのかもしれません。

一方でなお、変わらない日常を生き抜くことも

私たちの運命であり使命です。


被災地を想うことと、

今あるシアワセを大切にすることは、

決して相反することではなく、

むしろ、その二つの事を

バランスよく両立させていくことが、

今後の長期にわたる復興支援のパワーとなって

いくであろうこと。

もどかしさは如何ともしがたいものの、

ここで私が意気消沈したからといって、

何がはじまるわけでもありません。

しばらくは自身にそう言い聞かせながら、

過ごしていく日々となりそうです。






身元が判明したご遺体の名前欄を辿るとき、

年端もいかぬ小さな子どもが少なくないことに

暗澹とします。

津波に襲われ飲み込まれるその恐怖を想うとき、

言葉を失います。


亡くなられた方、行方不明の方が

2万人を超す見込みであるとすれば、

父母を失い、子を失い、友を失った方は

どれほどになるのでしょう。

生まれ育った故郷の風景を失った人は、

どれほどになるのでしょう。


大切な存在と突然に分断されてしまうという体験の後で、

尽きることのない喪失感を抱えながらも、

復興に向けて足並みを揃え、

生きていかなくてはならないこと。

その困難さを想うと、

かけるべき言葉は容易にはみつかりません。


その一方で、

極限状態の中にあって、

被災地の方が互いを思いやり行動される姿に、

わたしたちは、どれだけ励まされ、

希望を見いだしたでしょうか。



そう考えると、

特別な能力がない私にも今すぐできるであろうこと

-身近な人や事柄に対して、

優しく謙虚に誠実に向き合っていくこと-

といった当たり前のことかもしれませんが、

当たり前のことをきちんと大切にしていく積み重ねが、

明日への希望へとつながっていくように感じるのです。



さらにできるのであれば、

日本人として、地震列島という異名をもつこの国で暮らしていくこと、

ひいては地球人として、

資源のこと、エネルギーのこと、

社会や経済の「発展」「成長」のありようについて、

出来る限り大局に立って考えを巡らしていきたい。

目先のことも大事かもしれませんが、何よりも

私たちの子どもの代、孫の代、そのまた孫の代に、

安心して暮らせる世界を受け渡していかなくてはと思います。



地球史46億年の中で、

人類史なんてほんの一瞬にすぎません。

森羅万象に対しては、人間の叡智だなんて

到底太刀打ちできるものではないのでしょう。

どれだけ「専門家」が「既知の科学」を持ち寄ろうとも、

想定できない事の方が、想定できることよりも

はるかに多いことは想像に難くありません。


だからこそもう一度、足許を謙虚に見つめなおし、

改めて、自然と、人と、世界と関わっていくことで

被災地での苦難を少しでも無駄にしないように

努めていかなくてはと念じるのです。



今の私にできることであり、課題でもあること。

被災された方々の哀しみに毎日真剣に心を寄せ続けること。

自分にできることを探り続け、少しづつでも行動していくこと。

自分たちの日常を元気に精一杯生きること。

そして、これからも私たちが、私たちの子どもが

暮らしていく日本と世界のありようについて考えること。


この四つを常に心に留めながら、

いただいた命を、いまある命を、

大事に大事にいたわり、抱きしめていきたい。





「日々生きているということは

あたりまえのことではなくて

実は奇跡的な事のような気がします。」


いまあらためて、星野道夫さんの言葉が、

じんと胸に響きます。