乾パンはもういいよ。防災を考える | ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!
東北大地震、津波から一週間経ちました。
168時間前、日本は突然死にました。
再建と言っても元の街も人もコミュニティももはや復活させる事はできないのです。
今からは以前とは全く違う価値観で生まれ変わらなければなりません。
いまのところ、私にできることは何もなく、
せめて日常を普通に過ごす事に務めています。
それさえも「闘い」なのだと思わせられた一週間でした。

亡くなった方々のご冥福を祈るとともに
被災された方々が一日も早く「日常」を取り戻されるよう
何かお手伝いができればと思います。

我が市でも各自治会ごとに防災倉庫を建て、防災グッズや保存用食糧を整備しています。
その話し合いでも強く感じるのですが、

なんで非常食といえば、未だに「乾パン」を外せないのでしょうね。

一応近隣の5軒ほどがグループになって防災担当を決めてます。
でも、わが家から非難しなくちゃいけないなら避難先の自治会館だって危ないだろうし、
それより大きな避難場所は最寄りの小学校だとして
住宅密集している土地柄絶対パンクすると思います。

それにうちには犬もいるので見捨てて一人避難なんてできないし。

そう考えると避難できそうなところって、、ないなあ。

地震直後に早くも津波に巻き込まれてゆく東北の街をテレビはライブで放映しました。
上空ヘリから状況がつかめても現場で状況の掴めない通行人はまるで津波を見物するかのようにたたずんでいました。
きっとその場にいたら何が起っているのか、次に何が起るかなんて全く判らないでしょう。

いままで私たちがあれこれ議論して来た「防災」は本当の意味の「防災」じゃないんだと今回の災害で強く感じました。

初期救助救援は自衛隊そして、世界中から即飛んできました。
アメリカの軍艦も、攻撃する為でなく救援に来ました。

被災地から遠い私にも韓国、インド、フィリピン、ドイツの友人がネットのfacebookの書き込みや電話で
「大丈夫かー!」
「インドのわが家にいくらでもいてもいいからー!」
「韓国に引っ越せー」
などと心配してもらってありがたい限り。
そして、私も東京や長野にいる韓国人の友人達とfacebookを通じてずっと励ましあったり。
状況はtwitterを通じて全国民、全世界がマスコミを通じずにやり取りできました。
消息情報の他にデマも広がり、そのデマを鎮静させたり、緊急にサイトを立ち上げたり。
私の経験した阪神大震災の時はネットも携帯もなかったものです。

ただ、電源のない現地の避難所に情報は届いてなかった。

全国民が今、防災についてはものすっごい評論家になれそう。

一つ、私も参加するとすれば
防災はグローバルに考えなければ行けない。
そうあらねばならない、じゃなくて
そうなっちゃうから。

普段頼り無さげな日本が、最も混乱している中でも秩序を保ってなるべく合理的に動こうとできる強さがある。
「感謝」と「思いやり」でお互いを支えあっている事。
それだけが私たちが再び幸せになる為に必要な総てじゃないかと思うのです。