栗東 ビニールハウスで書き初め大会はインドへ続く その2 | ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!
先日インドで出逢った写真家の沖守弘さんがマザーテレサのメッセージ入りの肖像写真を送って下さいました。
早速額縁を買って来てベッドサイドに飾ってみました。
私のベッドサイドってインドの地図、世界地図、インドの神様のブロマイド(?)が貼ってあって、マザーテレサの土人形が飾ってあって、これじゃあなんだかインドマニアな感じ。
そんなつもりないんだけど。。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-ベッドサイド

インドのマザーテレサの施設のボランティアに毎年通っていると言ってもクリスチャンでない私にはマザーハウスで行なわれるミサも神様への誓いの唱和や歌、祈りの時間にもどうにもヨソモノ感が否めません。
それでもマザーテレサが生前宗教の違いを差別せずに人々に接したままの大らかさで受け入れてもらえるので日本人のボランティアも本当に沢山訪れるのです。
マザーテレサが亡くなって14年。
今年のコルカタへの旅では本や映画で知っているだけのマザーを直接知る人に出逢いました。
その出逢いにインド行き直前の栗東の竹村さんのビニールハウスでの書き初め大会が伏線になっていて、わぁ、こりゃ一体誰のシナリオ?

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-沖守弘さん
私の参加したツアー主催の西山さんと写真家の沖さん


生前のマザーテレサを追いかけて10年の付き合いのあると言うKさん。
マザーの死後もインドを訪れ続けなんと今回40回目!
私が参加したツアーの主催者西山さんのお繋がりで同じホテルに宿泊しているので、お話を伺いに部屋へお訪ねしました。
事故で片足を失いながらも車椅子で来られたのです。
部屋の隅に控えてた私が滋賀から来たと聞いてKさんが尋ねました。

「Yさんって知らない?」
「Yさん」決してよくある姓ではありません。

なんと、今回のビニールハウスde書き初め大会で染色の件でとってもお世話になった方のことでした。
140万人を超える滋賀県民の中で一つ、ぽろっとKさんの口から出た名前がその方でした。

ちょっと前に知り合ったYさんですが、書き初め大会がなければそれほど親しくはなかった方です。
書き初め大会の為に布に墨汁で染める方法を教えていただきにお家に伺いました。
居間にはマザーテレサの写真集が飾ってありました。
「もうすぐここ、行くんですよ~、奇遇ですね~」と笑ってたのですが、

いや~、びっくし。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-マザーのお墓
ミッショナリ オブ チャリティー、通称マザーハウスの1階にあるマザーテレサのお墓

Kさんと沖守弘さんはご一行様で、沖さんの部屋は私の部屋の並びでした。
朝ご飯でご一緒し、夕食でまたご一緒し、私が施設の一つプレムダンでボランティアの人たちに演奏用ノコギリを弾いていたところに偶然通りかかられたり。
接点を作ろうとしたわけではないのに自然にアチコチでお目にかかる事になりました。

そしてインドの貧民街の無名の修道女だったマザーテレサを
追いかけ続けた日本人カメラマン沖さんとの交流を直接伺う事ができました。
マザーの死後もマザーの写真展を世界中で自費で開いている沖さん。
元はクリスチャンではなかったのですが去年、スペインのサグラダファミリア教会、イタリアのアッシジの聖フランチェスコ聖堂で写真展をし、アッシジで洗礼を受けたそうです。
「これでマザーの所へ行ける」と、沖さんはとても嬉しそうでした。
沖さんはこれが人生最後のインド、と決めて来られたそうです。
そんな旅にご一緒できて本当に光栄でした。

80歳を超えてますますお元気な沖さんは
「来年はアメリカとメキシコでマザーの写真展をする!」と燃えていらっしゃいました。
その心にはいつもマザーと一緒にいらっしゃるんだなー、と思いつつ。。。


いつも思うのは、天からの使命に燃えるコマッたダンナさん思う存分泳がせられる日本の奥さんってば
マザーテレサ以上に偉大だな~、と思うのでした。