tobe課題「消しゴム」
カス
あべせつ
三名の中途採用希望者を控え室に案内した後、私は先程までいた筆記試験会場に答案用紙を回収するため、急いで戻った。ドアを開けると所長代理の上月氏が、受験者たちの席の周りをうろうろしている。
「上月さん、何をされているんですか? もうすぐ面接のお時間ですよ」
「うん、わかってるよ。ところで、滝本さんはどの人がいいと思う?」
「私は、Aさんがダントツかなと思うんですけど」
Aさんは、上月氏と年齢の近い三十代半ばの男性で、失礼ながら『なぜこんな地方の小さな会計事務所に?』と疑問を抱くほど優秀な経歴の人物であった。一名しか採用しないというのであれば、やはりAさんが抜きん出ている。
「そうかあ、やっぱり、普通は彼を選ぶよな」
「えっ、じゃあ、上月さんは誰を?」
「答えの前にまず、このBさんの机を見て」
「あら、いやだわ、汚い」
Bさんは、長年事務の仕事をしていたという四十代後半の中年男性なのだが、その机の上は消しゴムのカスだらけだった。
「答案用紙も見てごらんよ」
「これじゃあ、読めないですよね」
きちんと消しゴムを使わないので、紙が黒ずんだり、先に書いた文字が消えずに残っていたりで、どうにも判読しづらい。
「こういう性格の人は、たいてい仕事も杜撰になるんだよ。一円単位に神経を配らないといけない会計の仕事向きじゃないな」
「じゃあ、Aさんは? 机の上も答案用紙もきれいですよ」
「と、思うだろうけど、これを見て」
上月氏は床面を指差した。そこには、机から払い落とした消しゴムのカスが一面に散らばっていた。
「あっ、私が毎日きれいにお掃除してるのに」
「だろ? 掃除する人のことまで考えてないんだよ。こういう人は自己中心的で気配りができない傾向にあるんだ。我々の仕事は数字を触っているだけじゃない。顧客と面と向き合って内密の話もするんだから、気配りができないというのは問題なんだよ」
「だとしたら、Cさんはどうでしょう? 全然カスがないわ」
三人目は、私と同世代の若い女性だった。
「うん、彼女はカスを集めて、最後にティッシュに包んで自分の鞄に入れたからね」
「まあ、面接官って、そんなところまで見てらっしゃるんですか?」
「そりゃあ、短時間で人を選ばなきゃいけないからね。テストの成績や面接や作文では、本当のところ人柄まではわからない。いくらでも〈良い人材〉であるかのように演じられるからね。でもこうした無意識の所作には、本性がにじみ出るものなんだよ」
「怖いわ。そうやって知らぬ間に、人に評価されてしまうんですね」
「何も就活だけのことじゃないよ。恋人や結婚相手を選ぶ時も同じ事さ。滝本さんも〈恋は盲目〉にならないで、そうした相手の普段の何気ない行動から客観的にチェックした方がいいと思うよ」
上月氏は意味ありげにニッと笑うと、面接をするために部屋を出て行った。
翌日の日曜日、私は趣味の文芸サークルの集まりに出向いた。時間が早すぎたのか、公民館の二階の和室にはまだ誰も来ていない。
私はひま潰しに最近ハマっているクロスワードの懸賞雑誌を開いてパズルを解き始めた。
「あっ、クロスワード? 面白そうだね」
いつの間にか部屋に入ってきていたサークルリーダーの永瀬さんが、声をかけてきてくれた。彼は、私にとって憧れの人だった。
「良かったら、やってみます?」
「いいの? じゃあ、ちょっとだけ」
永瀬さんが私のすぐ隣に座り、早速パズルを解き始めた。こんなに近い距離にいられるなんて初めてのことだ。私は少しずつにじり寄りながら、永瀬さんの体温を感じてドキドキしていた。
「あれ? ちがうな。これは……こうか」
永瀬さんは独り言をつぶやきながら、パズルを解いていく。書いては消し、消しては書きをする内、長机の上に消しゴムのカスが溜まっていく。すると突如、永瀬さんはそのカスを荒々しく手で払いおとした。
「あっ」
私の真新しいスカートの上に、黒く汚いカスの雨が降り注ぐ。
小さく非難の声を上げた私をちらりと横目に見たものの、永瀬さんの目はすぐにパズル雑誌に戻り、どこ吹く風といった体である。
(なんか、ちょっと……やだ)
永瀬さんが消しゴムを使うたびに、私の淡い恋慕の情も消されていき、黒いカスと同じ量だけ不快感が積もっていく。自然、後退りしていく私の頭に、ふと、昨日の上月氏の言葉が頭をよぎった。完