因果応報についてと題しました。
意味は、簡単に『人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。』です。
仏教語で、行為の善悪に応じて、その報いがあることです。
「因」は因縁の意で、原因のこと。
「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのことを言います。
出典は、『大慈恩寺三蔵法師伝』です。
三蔵法師の死後弟子筋によって編纂されたものが出典のようです。
仏教の難しい解説は避けて、本題に入ります。
皆様は、次のような疑問を持ったことはありませんか?
なんで、世の中には、善人が損をして、悪人が得するかのようなことが起きるのかと。
そして、善人が損をしたまま、死んで、悪人が勝利するようなことが起きるのかと。
神様は不公平ではないかと。
因果応報なんて、嘘っぱちでないかと。
結論から言うと、因果応報は100パーセント機能しています。
地上のことだけを見れば因果応報は機能してないように見れるかと思います。
しかれども、人の本質は霊です。
霊は、永遠の転生輪廻を繰り返している存在です。
肉体は乗り物なので、死んだら、その乗り物である肉体から降り、霊界に旅立つわけです。
霊界には、天国と地獄があります。
この霊界があるからこそ、因果応報が100パーセント成り立つのです。
善人は、地上において、負けたかのような人生を送ろうとも天国において勝者になり、
悪人は地上において、勝ったかのように見えても地獄において、敗者の苦しみを味わうのです。
その点において、神の公正な天秤から逃れることはできません。
この世において、不幸であろうとも、正しく生きたと思うなら、その行為や思いは、必ず正当に評価されます。
私が思うに、その法則が神そのものの一部分であると思うこともあります。
そして、小さな小さな、この世でたいしたことがないなと思うような善意に対しても、驚くような高い評価と分析がなされることも期待して良いかとも思います。
因果応報は神の一部であり、宇宙の法則であるところ、それを抗うことはできないと思っています。
だから、自信をもって、正しい想いをもって、正しい行いをしてください。
神は動機と仮定こそ、見ていてくれます。
ですから、結果は余り気にせず、限りなく人に優しく、善意でもって接し、世の中には、その仕事や報恩でもって、お返ししていくことが大切だと思います。
因果応報においては、神に対し、限りない信頼と信仰を寄せても、裏切られることはないと断じますので安心して、善人として生きていきましょう。
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