領土・領空・領海への侵犯行為は、憲法9条とは関係ない。 | 幸福を実現するブログ

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生粋の保守のねずさんのひとりごとの記事を転載します。

この人の記事はリンク転載フリーです。

見たところ、良い記事ばかりなので、参考にしてみては?と思います。

私の記事の方は一言かけてもらえば良いですね。

拒否することはほとんどありません。


ねずさんのひとりごとの記事を転載
『今日は、領土領空領海への侵犯行為は憲法九条とは関係ない、正当な防衛問題であるということを書いておきたいと思います。

先日、支那海軍のフリゲート艦が海上自衛隊の護衛艦にレーダー照射したという事件が起こりました。

メディアによると、このレーダー照射は日本の「せい」なのだそうです。

ですが私には、盧溝橋事件や日清戦争開戦前の挑発行為にしかみえません。


日本をバカにし、挑発し、立ち上がらずにはいれないところまで追いつめて、日本がやむを得ず反撃の姿勢をみせると、日本が戦争をしかけたと被害者を装う。

自分が悪いのに、それを他人のせいにする。

古来変わらぬ支那の手口です。

日本は粛々と、何があっても絶対に支那になど負けない強力な防衛体制を築けば良いのです。

何も挑発に乗ることはない。

彼らは上下関係でしか物事をとらえることができない、ある意味「病人」です。

ならば、日本が圧倒的な上位に立つ他ないのです。

逆に日本が軍事弱国であり、政治が九条墨守のような空理空論ばかりに拘泥しているなら、日本はますますの挑発を受け、それこそ支那事変の再発にまで追い込まれかねない。

もっとわかりやすく言います。

レーダー照射された、ということ自体が、異常なのです。

支那艦船が領海に近づいたら、逆に日本からレーダー照射してあげれば良いのです。

支那艦船が日本の領海内に侵入してきたら、問答無用で撃沈してあげれば良いのです。

それが普通の国の普通の国際ルールです。

早い話が、支那の潜水艦が、毎日のように日本の領海内に侵入してきています。

潜水艦というものは、相手にわからないように黙ってこっそりやってきて、いきなり近くから魚雷やミサイルをぶっ放すから、怖いのです。

ですから世界中、どこの国の潜水艦も、居場所を決して悟られないよう、とにかく音をたてない。

静かに静かに潜航し、航行します。

ところが中共海軍の潜水艦というのは、まるでドラや半鐘を鳴らしながら、お祭り囃子のようなにぎやかな大きな音をたてて日本の領海に入ってきます。

これは世界的に見ても、ありえない異常さです。

潜水艦は、静かだから怖いのです。

にぎやかでは、何の脅威にもなりません。

ですから中共海軍の潜水艦は、日本の海上自衛隊に100%居場所を特定されています。

要するに、機械の性能が悪い。

乗員の声がでかい。

潜水艦乗りとしての態度がなってない。

要するに何の脅威にもならないのです。

なぜなら、居場所を特定されているということは、日本は中共の潜水艦を、いつでも即時撃沈できるということだからです。

ところが日本は何もしない。

能力があるのに、その能力を行使しない。

結果、中共海軍は、我がもの顔で日本の領海への侵犯をくり返す。

軍船というものは、日本の領海を侵犯した時点で、戦争行為を行ったとみなされる。

それが世界の常識です。

つまり、領海侵犯、領空侵犯は、領土侵犯と同じで、それ自体が侵略行為、つまり国際的犯罪行為なのです。

憲法9条は、戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、「国際紛争を解決する手段」としてはこれを放棄し、国の交戦権は認めない、と書かれています。

「国際紛争を解決する手段」としての戦争はしないと言っているのです。

逆にいえば、領土、領海、領空への侵犯行為に対しては、空ならこれを撃墜し、海ならこれを撃沈させ、領土ならこれを撃破する。

それは、「国際紛争解決の手段」ではなく、自国の領土、領海、領空を守る「自衛行為」でしかありません。


これは実に簡単な理屈です。

知らない人が、家の前の公道で騒いでいる。

それを公道まで出て行って喧嘩すれば、「国際紛争」です。

その「国際紛争」解決のために棍棒を持って殴り込みしたら、それは「戦争」です。


けれど、その「知らない人」が、棍棒を持って我が家にまで入ってきたらどうなるか。

棍棒を持っていても殴る意思はなかったなどという屁理屈は通用しません。

家に侵入してきた。棍棒を持っていたというだけで、不当な家宅侵入です。

家の主人や、兄貴が、妻や子を守るために、その侵入者を殴ったとしても、それは正当な防衛行為です。
侵入者が、殴られて死んでしまったとしても、やむを得ないことです。

そもそも棍棒を持って家宅侵入した時点で、侵入者は殺されても仕方ないリスクを背負っているし、ほっておけば、家族の婦女子がいかなる目にあわせられるかわからない。

つまり中共海軍が、日本の領海内に侵入してきた時点で、日本は本来、憲法9条とは関係なく、中共の艦船を撃沈して構わないし、撃沈されたことについて、中共は一切文句を言えない。

それが国際的常識というべきものです。


パラオが支那軍船を銃撃の上撃退させながら、それが国際的に一切非難されないのも、そのためです。

日本は、支那のわが国領海への侵犯行為を、証拠を挙げて堂々と非難すれば良いのです。

そして今後、領海内に侵入してきた軍船に関しては、たとえそれが漁船に偽装しているものであったとしても、わが国は自衛のために、その全てを撃沈すると宣言したとしても、それは世界では、

「なにをいまさら、そんなあたりまえのこと言ってるの?」

としか受け取られません。

むしろ「えっ? いままでしてなかったの?」と、かえって顰蹙さえもかいかねない。

そういうものです。


福岡一家斬殺事件というものがありました。

支那人留学生が、家屋に浸入し、妻の見ている前で幼子を殺し、帰宅した夫の前でその妻を斬殺し、ついには夫までズタズタにして殺害し、支那に逃亡したという事件です。

日本人の常識では、悪いのは犯人の支那人だと思うことでしょう。

けれど世界の常識は違います。

幼子がいるのに、知らない外国人を家宅内に易々と侵入させた方が悪いと考える。

拳銃を所持せず、妻が殺されるのを黙ってみていた夫が悪い(腰抜けだ)と考える。

それが世界の常識です。

私は、日本が、日本人がそのような思考をする民族になど、断じてなってほしいとは思いません。

犯罪を犯す方が悪いとする、普通の日本人の感覚の方が、どれだけすぐれたものかと思うからです。

けれど、だからといって、国の防衛や、家族の防衛まで放棄して良いとは思わない。

まして、憲法9条を、どう逆さにして読んでみても、そこには
「国際紛争を解決する手段としての戦争をしない」
と書かれているだけです。

侵犯行為に対して、ただ黙って侵犯されるにまかせますとは、どこにも書いてない。


侵犯行為は、国際紛争ではありません。

侵犯行為は、国内の防衛問題なのです。

従って侵犯行為への対応は、憲法九条とは、何の関係もありません。

領空を侵犯した他国の軍用機は、有無をいわせず撃墜する。

領海を侵犯した他国の船は、たとえそれが漁船に偽装してあったとしても、有無をいわせず撃沈する。


それがあたりまえの国家のあり方であり、そのことについて憲法九条は、なんら制限できるものではない、ということを申上げたいと思います。

加えて申上げるならば、この領空、領海侵犯に関して「尖閣の領土問題に関連して」とレッテルをつけて報道するのは、それ自体が、政治的犯罪行為であり、詭弁です。

つまり、そういう枕詞を付けることは、日本がいかに領土領空領海を侵犯され、あるいは日本国内にある個人の家に外国人が入り込んで日本人家族の虐殺を行ったとしても、それが「尖閣の領土問題に関連し」と枕言葉を冠しただけで、あたかもそれが「国際紛争」であるかのように偽装されるからです。

そして国際紛争であるかのように偽装されることによって、それへの対応に「憲法九条」が関係してくるかのようにイメージされるのです。

けれどそれは違います。

というより、ただのイメージ戦略でしかありません。

尖閣問題であれ、竹島問題であれ、そこが日本の領土領海領空である限り、武装して侵入した者に対しては、堂々と撃墜、撃沈、撃破する。

それは、正当な「自衛行為」なのです。

そして日本が、日本の領土領空領海内において、常に圧倒的なパワーを見せつけて、
支那の不法行為を撃退することが、上下関係でしか国家関係をみることができない中共政府という上下病患者の蛮族を黙らせる唯一の方法であるということを、申し添えておきます。』転載終了


ねずさんの ひとりごとより転載
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