昨日から京都に来ている。
澄み渡る空を見上げて
本当に台風来るんだろうか?と思ってた午前中が懐かしい。
予定では今頃
東京三軒茶屋の85バルに居るはずが
私は未だ京都に居る
京都の
草喰 なかひがし でのお昼ご飯は外の天気を忘れるほど魅了され、素晴らしい時間と料理を楽しんだ。
ちょうどその頃から大雨大荒れの天気に、
この天気を経験するのはなんの象意なのかと頭を巡らせる。
過ぎ去ったかのように思った台風でも
残した爪痕で新幹線は🚅動かない。
さらにどうやったら東京にたどり着けるのか
色々考えて見たものの、全てうまくいかない
奇跡は起きると堅く信じつつも
こんなに京都に滞在させたい真意はなんなのかと考える。
自然の猛威にはどうにも太刀打ちできない無力さも感じつつ
こういう台風、暑過ぎる夏、早すぎる雪。
大雨や洪水、いろんな天災。
気候変動はまだ序章に過ぎないんだなと感じた。
すごく不謹慎だと思うけれど
自然の猛威に太刀打ちできない瞬間に、
心のどこかで安心感を覚える。
自然への畏れがあるんだという認識がそうさせてるんだと思う。
交通機関が止まり、目的地に目的の時間にたどり着けるんだろうか
という不安よりも、この地球の状態への漠然とした不安感の方が私は大きい。
自分の身体を自分で治す力があるように
地球も地球自身で修復する力がある。
風邪を引いたらくしゃみが出るように
地球も発熱するしくしゃみだってする。ということは人間社会にとってかなり不都合なことがたくさん起こる。台風、大雨、地震、火事、津波など。
今後、必ず起こる(というか既に起きてる)
農業被害、土砂崩れ、洪水は
私たちの便利で快適な暮らしやすい社会を
悲惨なものにしてしまうだろう。
高齢者だらけの日本、この国を支える若者たちにもっと智慧を、もっと勇気を、そして希望を見せてあげられる大人になりたい。
持続可能な環境を創るのは
食だけじゃ、とっても間に合わない。
と確信してしまった京都での足止めの巻。
たとえ間に合わないとわかっていても
私は、私に出来ることをしよう。
ハチドリのひとしずくのように。
明日、SFCの合宿にメンターとして参加する私は、頭や口だけじゃなく行動で示せる人になりたい。