ロスのコマースカジノで見た光景。 | 赤木太陽の徒然なるままに。

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編集者/ライター、放浪者の日常を徒然なるままに。日本から海外からお届けします。

 独立記念日、日曜日の朝。


 朝からホテルが騒がしい。夜に行われるパーティーの準備だろうか。


 朝食後、しばらくマリナ・デル・レイを散歩する。なんの予定もない日曜日、無性にポーカーがしたくなり、ジャッジ金子さんに相談。行き慣れたハスラーカジノにするか、それとも未だかつて訪れたことのない噂の巨大ポーカールームのコマースカジノにするか悩むも、あっさり後者に決定。


 LAにカジノなんてあるのか?と思われるかもしれないが、LAの場合は法律的な問題のために客同士が対決するポーカールームに限っては認められているとのこと。そのため、場内装飾をきらびやかにするスロットの設置もままならないためか、LAのカジノはどこか地味な印象だ。


 このコマースカジノも予想通りだった。数十年前から一切、手を加えていないような前時代的な外観。場内に足を踏み入れると熱海の温泉宿の宴会場のような大広間に無数のポーカーテーブル。ベガスとは正反対の牧歌的な風景がどこまでも続く。


 繰り返すが日曜日の午前中、それも独立記念日というこの日のこんな時間帯からポーカーをしにきているアメリカ人とはどんな連中なのか? こちらも予想にたがわぬ結果となった。


 俺がシート1に入れられたリングのテーブルでは、右隣から順に腕にタトゥーだらけのアングロサクソン系港湾労働者、ジャッキー・チェン似の中国系、グラディーションのサングラスが渋いベトナム系中年、ずっとしゃべり続けている典型的デブ白人のオタク青年、イスラム系労働者、ワシッ鼻と口髭が特徴のユダヤ系中年、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン風のコワモテ中年といったプロレタリアートな面々が待ち構えていた。いずれにしても、この時間に町の教会に行くなんてことは絶対にしない連中だ。


 バイイン額の少なさに気付かず、ディーラーにその10倍近くのドル紙幣を差し出すと、すぐにデブ青年がからかってくる。


「へい、お前、ポーカーできるのかよ!」


 このデブがプレイ中にやたらとうるさいのだが、1時間もすると慣れてきて、次第にはこいつが口を開かないと心寂しく思えてくるからポーカーってのは面白い。


 俺がポーカーに魅かれるのは、このコミュニケーション性にある。



 ポーカーテーブルに1時間でも座れば、いやが応なしに他のプレイヤーとコミュニケーションを交わすことになる。世間話もすれば、ポーカープレイについて意見をぶつけ合うこともある。そしてプレイを通じて彼らが何を考え、どんな生活を送っているのかがぼんやりと見えてくるのだ。


 ただ単に海外へ行ったからといって、誰でも現地人とコミュニケーションをはかれるかと言えば答えはNOだ。相当に努力しないと現地人と深い交流は持てないし、彼らの実像は見えてこない。ましてや労働者階級の不良とか、ストリッパーの彼女の金でポーカーに没頭しているヒモなんて連中はなかなか知り合えるもんじゃない。


 だが、それがポーカーではいとも簡単に可能になるのだから素晴らしい。そういう出会いは、ポーカーが俺に与えてくれた最大のお恵みでもある。


 海外で旅をしても自ら好奇心を持って冒険しなければ、表面的に見えてくるのは観光地としての姿だけ。それをいくらなぞったとしても、”異文化”を知ったことにはならないだろう。本当の意味でのカルチャーとは、最下層の連中にこそ息づいているように思える。彼らの生活ぶりを知ることで、その国の姿を知ることができるような気がしてならない。


 コマースカジノで改めて知らされたのが、アメリカではポーカーは庶民の娯楽になっているという点だ。10ドルから誰でも参加できるので、フリーターでも年金生活者の老夫婦でも気軽に遊べてしまう。それでいて、少ない金額で長い時間を潰すことができる。モニターではいつも四大スポーツのいずれかが中継されているので客も地元チームの結果を気にすることなくプレイできる。そしてチップ程度で飲食できてしまうところも大きい。


 ちなみにコマースカジノのホットドッグは絶品だった。ソーセージの極太さ、塩辛さ加減は申し分なく、パンも俺好みのソフトでしっとりとしたタイプ。おまけで付いてくるチリビーンズソースをたっぷり乗せれば、それだけで一食分は確保できるというボリューム感だ。


 今日の印象的なプレイは同行した金子さんのものだった。


 リバーで金子さんは渾身のオールイン。相手のワシッ鼻と口髭が特徴のユダヤ系中年も余裕でコール。


 そこでショウダウン。


 ボードには、6C、7C、QH、2D、9C。クラブが3枚あった。金子さんはクラブスーツAとT。


「おお……」


 一斉にどよめくプレイヤーたち。


 あちこちで「あー、降りて良かったぜ」なんていう声があがる。そんな反応を目の前にして、金子さんもまんざらでもない表情を見せる。思えば金子さん、今回で海外トーナメント挑戦は6回にも及んで、未だにインマネ回数ゼロ。さすがに今回の残念な結果(WSOP)に関しては、珍しく素直に反省を口にしていた。


「2ラウンドまででAポケットが4回も来たんです。それ以外にも毎回ハンドが良くてね。悪くてもKQとか。でも、このKQで油断しちゃいまして。ハンドが良すぎると、本当に気持ちがゆるんでダメですよね。今回もこういう結果になっちゃいましたけど、僕、WSOPは毎年挑戦し続けようと思ってるんです。逆に言うと、去年まで挑戦し続けたアジアの大会への興味がまるで消えちゃいましたね。WSOP一本に絞ってもいいんじゃないですか。それだけ価値のある大会だと思います」


 世界という舞台を経験して、その閉鎖的なポーカー観に若干の変化の兆しが見えてきた金子さんは、いままさに新たなポーカー生活のスタートを切ろうとしている。


 その華々しい未来の門出を祝うハンドはAハイフラッシュ。それも2枚使いのAハイフラッシュというのはまさに新生・金子さん、今後一皮剥けていくだろう金子さんには相応しい強力ハンドである。


 金子さんの未来に幸あれ!


 海外ではやたらと美味しく感じるハイネケンのボトルを飲みほしながら心の中でそう呟いた瞬間、金子さんとヘッズアップしたユダヤ系は余裕の笑みを浮かべだした。


 おいおい、ついに気がふれやがったか。どうせお前が持ってるツーペアか3カードくらいじゃ金子さんは……いやもとい、WSOPを経験したことでアジアの枠を飛び越え、グローバリゼーションの権威にまで昇華した俺たちの金子さんに敵うわけがねえだろうが! 顔を洗って出直してきやがれ。このジュ××ッシ×野郎め!!


 俺は心のなかで叫んでいた。


 あっ、そういえばプレイ中、このオッサンは誰かに似てるなぁとぼんやり考えていたんだが、たったいま、その答えが出た。ちょっと古いのだが女優の中村メイコの旦那で作曲家の神津善行によく似ている。倍以上の体格の妻に肉体的にも精神的にも強いだげられていそうな気弱そうで痩せぎすのオッサンだ。きっと、毎週日曜日の朝からポーカーするのが人生で唯一の楽しみで、そこで出来た顔見知りと交わす世間話にいつも心癒されているだろう小市民なはずだ。


 思えば人生とは不公平にできている。片やベガスでWSOPに参戦してインマネはならずともプレイを通じてポーカーに開眼し、いまや世界へと飛び立とうとしている漢。片や、LA田舎カジノの低レートテーブルでしかプレイできない、しがない中年オッサン。お前とジャッジさんでは格が違うんだ。思い知ったか、この野郎!


 が、しかし! このユダヤ系はとんでもないハンドを見せたのだった。


 ぺろん……と開かれた彼のカードは、なんと5Cと8C。つまり、ストレートフラッシュが完成していたのである。


 昨年のWSOPメインイベントで日本人ポーカープレイヤーとしてはもっとも実績を持つMOTOさんがAの4カードで、相手のロイヤルストレートフラッシュにぶつかるという一生に一度体験できたらそれでも多すぎるというくらいあり得ない確率の負けを喫してしまったのだが、それに比べると賭けているレートもスケールも戦っている舞台のレベルもずいぶんと低いものの、MOTOさん同様のあり得ない確率での負けを喫してしまった金子さんにはかける言葉もなかった。


――もう、なんて言ったらいいのか、ただただ不幸でしたね、としか言いようがありません。


「僕はね、いつもこうなんですよ。毎回毎回、かならず……」


――いや、そんなことないですって。


「毎回ですよ。毎回、僕はバッドビートを食らうんですよ」


――へ?


「だから毎回、バッドビートをくらうんですよ。僕は」


――うーん。ていうか、別にいまのはバッドビートじゃないのでは……。


「(こちらの意見はまったく聞かず)せっかく伊勢神宮にまでお参りしたのに、まだバッドビート癖が直らないんですよね~」



 いつ頃からだろうか。金子さんはポーカーで自分が負けた原因として、「バッドビート」を挙げることが異常に多くなっていた。初めはみんな軽く聞き流していたのだが、やがて、それを聞かされる周囲には「そんなに毎回、バッドビートが起きるなんてあり得るのか?」といった疑問が持ち上がり、ついには金子さんが言うところの「バッドビートで負けたときの状況を詳しく聞き出してみよう」ということになり、聞いてみたところ、そのほとんどが決してバッドビートなんかではなく、ただふつうに負けているだけだったことが判明した。


 俺は気まずくて直接聞いて確かめたことはないのだが、明らかに金子さんのなかでは、「最悪な負け方」というどうにでも自己解釈可能な感覚がバッドビートの意味になっている気配がある。それが未だ改められていなかったところに感動を覚えるとともに、究極のポジティブシンキングを見た思いがした。



 夜、ホテルのバルコニーから眺める独立記念日の打ち上げ花火。パトカーのサイレン、酔っ払いの叫び声、どこからか漏れてくるダンス・ミュージック。


 LA最後の夜は、前向きに生きることの素晴らしさを知った夜でもあった。


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