老衰で亡くなられた、以前通院されていた高齢の女性患者さん。

診察室でお会いするたびに昔話をされていました。

 

「先生のおじいちゃんは、それはそれはいい男でなあ。先生のおじいちゃんが自転車に乗って現れると、村の娘たちは、顔を赤らめてきゃー、きゃーいったもんじゃ」

 

次の診察の時には、

「あの当時になあ、先生のおじいちゃんはバイオリンをひいてみなに聴かせてな、それはそれはいい色男だったんじゃー」

 

うちの言い伝えでも、祖父は、たしかに女性にモテたようです。

それもハンパなくモテたとのこと。

患者さんによれば、「村じゅうの女性が、私のおじいさんに恋していた」という。

まあ話半分だとしても、すごいことです。

 

あんな昔にバイオリンをひき、自転車に乗り、TPOによって、目が悪くないのに丸いダテ眼鏡をかけて、時に付け髭をつけたりしていたらしいからすごい。服装もびしっと美しく、みだしなみにも気を遣っていたようです。

おまけに字が達筆で、書き残したものを見ると私もうなります。成績も主席だったとのこと。

 

趣味は写真。

あの当時カメラを持っていた人だって限られただろうに、北海道に旅行したときに写した当時のアイヌ民族の美しい女たちや野性味あふれる男たちの写真が残っています。

 

江田クリニックが建っているこの小野寺の70年前の美しい田園風景も、祖父の達筆な字とともにアルバムにきちんと整理され保存されています。

 

私とは、似ても似つかない完璧ぶりです。

祖父の遺伝子は私には受け継がれなかったようで、たいへん残念です。

 

あるとき、その女性患者さんと話しているとき、気づきました。

おばあさんは、私を見ているのではなく、私のうしろを見て話しているのです。

 

そうだったのか。

彼女は、私に会いに来ているのではなく、私の祖父に逢いに来ていたのです。

 

おばあちゃんの手はしわだらけでした。

顔には深いしわが刻まれています。腰も曲がり、膝の関節は変形しかかっていました。

しかし、あれから70年以上の歳月が過ぎようとしているのに、おばあさんは祖父へのあこがれを忘れてはいないのです。

 

おばあさんの体は老いましたが、その澄んだ瞳の奥では、おじいさんを見つめていた。

私のなかに祖父を見ていたのかと。

少女の心が今もふるえているのを感じました。

 

診察室を出て行くおばあさんの後ろ姿に、人生の幸運を祈りました。

 

背中のあたりで、祖父が笑ったような気がしましたが、ふりむくと、看護師が窓から晴れた空を見上げているだけでした。

 

【後日譚】

 先日も祖父の小学校の同級生を名乗るお歳の女性が「おじいさんの写真をお借りしたい」と来られました。

「あの当時の写真を持っている人はあまりいないから」というのが理由でしたが、私が「何に使うんですか?」と問うと、その老婆は、顔をぽうっと赤らめていました。初恋の人の名前を聞かれた少女のように。


深い想いは続いていくのです。

 

江田クリニック

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