私の師匠は、海外に住んでいるアメリカの大学の医学部の教授です。
 
その教授は、ディスカッションの最中、私が的を得たコメントをすると、とても柔和で、愛情に満ちた、心からの笑顔を見せてくれます。
 
それはそれは、ファンタスティックな、形容し難いほど慈愛に満ちた笑顔なのです。
あまりこんな風に笑う人を見たことがありません。
 
そんなまぶしい笑顔を向けられると、私は、小さいころ、うまく何かができた時、父や母から向けられた笑顔を思い出して、幸福なオーラに包まれます。
世の中には、こんな笑顔を他人に向けられる人がいるのだなあ、といつも驚きます。
 

子どもが喜びの感情を示すことがあります。

「ねえ!ママ、ママ、見て、見て、できたのー!」と子どもは、ママに報告に行きます。

その時、ママが「そっかー!できたんだねー!よかったねー!ママもうれしいよー!」と受け入れてくれます

 

すると子どもは自分が喜びを表現すると大好きな人がそれを共有してくれ、喜びをいっしょにわかちあってくれるということはこんなに温かくて、こんなに満たされるんだ、ということを学びます。

 

ひらがなが書けたとき、鉄棒でけんすいができたとき、欲しいものをがまんした時、親がかけてくれた、なんとも言えない、放射された愛情を思い出せる人は幸運です。

 

逆に、子どもが「ねえ!ママ、ママ、見て、見て、僕できたのー!」と見せに行っても、「あー、ごめん、勘弁して。もう。ママ、本当につらいんだ」と言われます。

 

子どもの気持ちは、ずーんと沈んでしまいます。

「うれしい」ことを大切な人に持っていったら、こんなに寂しい思いをするのだ・・・。

自分の感情を表現するとこんなにがっかりするんだ、という思いをします。

 

子どものころに、喜んだり、泣いたり、怒ったり、嫉妬した時、その感情をそのまま体ごと出していくことが認められ、受け入れられていけば、「あなたはそのまんまでいいんだよ、素のままでいいんだよ」というメッセージが蓄積されていきます。そうやって自然と「本当の自分」でいることができるようになるのです。

 

その逆に、感情が受け取られない状態、つまり怒りを出せば、否定され、悲しみは無視され、喜びは共有されず、といった状態が続けば、どうなるでしょう?

 

感情を出すたびに非常につらい思いをするので、感情を抑圧するようにになります。

すると、次に出てくるのは多くは「自責の念」です。

 

人間の深いところにある感情を抑え込むと、「僕がちゃんとできないからいけなんだ」と自分を責めるようになります。

自分の感情はあるものの、それを表現すると、「ママの基準」に合わないのです。

怒るとママに否定されるので、自責の念が発生するのです。

「僕がママの基準に合っていないのがいけないんだ」となるのです。

 

自分の気持ちよりもママの基準を選ぶ。

ママの基準を選び続けることで自分の気持ちを裏切り続けるわけです。

しかし、どうもしっくりこない。しっくりこない方を選ぶたびに、自分はだめだ、本当の自分を出したらだめだ、という心理を強化することになります。

 

自分の存在価値はなく、他の基準、他人の気持ちに合うように満たされずに生きていくようになります。

そうすると自分の人生を生きてきたという実感もなくなります。これが「感情の麻痺」です。

 

こうやって自責、自己否定の念が強くなり、自己肯定感が下がっていくのです。

罪悪感や、本当の自分はわかってもらえてないんだという「存在不安」がでてきます。

本当の自分はいてはいけないんだ、と。

こんな負のエネルギーはつらすぎるので、人はこれを何かにすり変えます。

 

たとえば、腹痛です。

原因不明の腹痛から解放されるには、このような「麻痺した心」を取り戻す必要があります。

これを根源的に改善するためには、自分の麻痺した感情を感じられるようにする必要があります

そのためには、「そんな抑圧なんて、ないですよ」と涼しい顔をしている自分が、人間らしい感情を感じるように変化することです。塗り重ねられた抑圧は、深層にありすぎて、自分ではなかなかモニタリングできません。

「親はこう感じちゃいけないと言っていたが、そうじゃないんだ」と気づき、抑制をはずすことが必要です。

 

なにか自分の本当に好きなことをやってみて、「生きるということはこんなにいいことなのか」感じる、誰か人に少しずつ心を開いて「自分の感情を出しても許してくれる温かい人は世の中にたくさんいるのだ」と気づいてみることが必要です。

 

私の師匠の教授もそうですが、世の中にはこんなにあたたかい人がいるのだ、という経験をすることが大切です。

私は、大学の医学部に入ってから、たくさんの気のいい友人たちと出会って、こんなに自分をさらけだしてもいい温かい人間がたくさんいるのだ、とびっくりした経験があります。

探せば、かならず、「芯からあたたかい」という人がいます。

そういうあたたかい人と、じっくり長い時間、腹を割ってつきあってみることです。

凍えたこころを時間をかけて、じっくり溶かしていくようなイメージです。

 

真の「腸活」は、自分に正直になることからはじまるのです。

 

医療法人社団信証会 江田クリニック 院長 江田証

 江田クリニック


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