仕事で失敗したため、絶賛落ち込み中。
モヤモヤして仕方ないため、ブログに考えを書いて整理していきたい。
仕事で失敗した。
言わなくてもいい余計なことを言ってしまった。それで何が嫌かってよくよく考えたら、怒られるのが嫌なだけだった。本当にそれだけ?そう。それだけだった。失敗したから、誰かが死ぬわけでも、何億円もの損失が出るわけでもない。ただ、口の軽さや責任感のなさが責められるだけだ。
でも、それが嫌で仕方なかった。
なぜ嫌だったのか、理由を考えてみた。
それは心のどこかに今優秀な自分にしがみついていたかったからだと思う。
4月からここまで頑張ってきた。だから、今の自分が十分に仕事ができないことを認めたくなかったのだと思う。でも、そんなこと言い出せばキリがない。これからも間違いなく失敗は山ほどするし、失敗がなければ成長はできない。気にしたってしょうがなくて、それよりも失敗を恐れて何もできない方がよほど問題だと思う。
今完璧な自分を求めるんじゃなくて、いつか自分らしく仕事ができる自分を目指す。
いつかっていうのは後回しにするわけではなく、目の前の小さな完璧よりも、先の未来において、自分らしく自由に仕事をする自分を目指して頑張る。
こうなりたい。
そう思う自分の理想像があったはず。
自分の場合は優しい会社員だった。ぶっきらぼうに機械的に仕事をするのではなく、お客さんにも同僚にも優しく接する会社員になりたい。それが自分の理想だった。
だったら他のことはどうだっていい。
他の人みたいに優秀でなくとも、強引さがなくても、器用でなくても、自分が望んだ理想像さえ守れればそれで十分だと思う。そうなるために足りないことは正面から受け止めて、自分に不要なものはバッサリと切り捨てる覚悟も必要だと考えよう。
後は周りの評価も捨てよう。直近の係長・課長の評価は人事評価に直結する。仕事ができないと思われているかもしれない。使えないと思われているかもしれない。でも、考えても無駄だ。評価の結果どこに異動することになったって、結局はそこで幸せかどうかは自分が決めていくこと。だったら、どこに行ったって自分が幸せだと思えるように働ける能力を蓄えよう。大切なのは自分が自分らしく仕事ができるか。周りがどう思おうが関係ない。必要以上に気にする必要はない。
仕事は自分らしさを表現する場くらいに思って頑張ろう。