ご無沙汰してます。
とてもとても久しぶりの更新です。

旦那は約3年半、グループホームで生活をしていたのですが、この先のことを考え、自宅に戻ることにしました。

当初、家にいた時に、退職したことが記憶に残らず、スーツを着て辞めた会社に行ってしまう日が続き、少し環境を変えるべく、たまたまグループホームに空きが出たので、入所させてもらいました。ただ、3年以上たった今も、グループホームで、スーツが無いと聞いてくることは続き…ホームから作業所へ行くのもとても時間がかかる状況でした。
そこで、旦那自身が行きたいと思う場所を、もう一度、いちから探し直そう、自宅から通える場所を探し直そうと、自宅へ戻すことを決意しました。
ただ、主治医とも相談し、自宅とはいえ、今までとは環境が変わるので、まずは、自宅の生活に慣れること、日中の行き先も変えてしまうと、かなりの混乱になるであろうから、日中は今行っている作業所へ引き続き通所ということにしました。

2017年4月に帰って来て、今、約2ヶ月がたちました。

ありがたいことに、通所日のうち、週3日は家の近くまで送迎に来てくれることになりました。

最初は、なんとか送迎車にも乗れていたのですが、どんどん、送迎車には乗らず、私が車で送って行ったりしてました。
そのうち、家からも出てくれなくなったので、『朝ごはん、パンがないので、外で食べよう!』と声かけて家から出て、そのまま送ってたのですが、それすら、朝ごはんもいらないと言うようになり、まったく家から出てくれなくなりました。

土日ですら、ご飯行こう〜、遊びに行こうと声をかけても出てくれなくなりました。
私への信用が、もうないんでしょうね。連れ出すのに、かけ離れた嘘は言わないようにしてたのですが…
旦那は引きこもり化しつつあります。
3日間、家から一歩も出ない日も何回か。

それでもなんとか、作業所へ遅刻していける日もあったのですが…
ほとんど最近は休んでいる状態。

私は仕事をしているのですが、5月から半年間、介護休暇を取らせていただくことにしました。

…4月は、仕事をしながら、旦那を送り出し…で、ほんと大変でした。

いま、旦那にがっつり向き合えるのですが…

作業所へ私が行かせようとして、でも、旦那は行ってくれず…、その時は一日中家にいます。
私も旦那がお休みになってしまったことへのイライラが…

イライラしてしんどいのは自分なので、行かなければ行かないで、ほっておこう。無理に行かせるのはやめようとも思いました。

ちなみに行かせるのに、毎朝、2〜3時間ほど、同じ話の繰り返しや、会話にならない会話をしてます。私も頭がおかしくなりそうです。

無理に行かせるのはやめようと決めたものの、やっぱり、行かない日はイライラしてしまう。
そんな日がずっと続いて、今日も、行ってくれず、イライラマックスです。

今は、部屋に閉じこもり、イライラを抑え中です。そして、このブログに書いて、落ち着こうとしてます。

ある方に言われました。

『相手を無理に変えようとしてもだめよ。変わらないよ。あなたが変わらなきゃ』と。
確かにそうかもしれません。

無理に行かせようとしても、お互いしんどいたけ…
お互いが、心穏やかに生活が送れることを模索して行かなければ。

先日、うちから、地下鉄一本で、乗り換えなしで通える高次脳機能障害のB型施設があるとこので、かなり頑張り、旦那を連れ出して行きました。
行くと、今通所しているところもだけど、作業を嫌がらず、こなしているらしく、色々な方とも楽しく会話もしているよう。ほんとに家から出てもらうまでが大変。

家に戻って、2ヶ月たつので、数カ所通うことも、混乱するだけなので、今後はこちらの方に通えるよう、考え中。
また、約5年通所してる今の施設、名前を言っても未だにに『何それ?そんなとこ知らん!』と言う旦那。…旦那、嫌なんでしょうね。
行かせてるのは、私。
そこへ行かせることにこだわるのはやめようかと。

旦那は、平日は、仕事に行きたいと考えている様子。

この新たな施設が、旦那の新たな職場と思ってくれるようになればいいのだけど。

とりあえず、家にひきこもらせたくない。
家にいたら、私に甘え何もせず、どんどん運動不足も加速、そして、私としか会話もなく…
外にでて、日光をあび、動いて欲しい、社会と関わりを持って欲しい。。。










今日、障害しえん区分認定、更新のための面談があった。

3年に1回とのことで、今回2回目。
今は、旦那はグループホームでの生活なので、日中行っている作業所で面談を行うことに。
作業所の旦那の担当も同席いただくことに。

面談
最初、5分は、旦那への質問。

「名前は?」
旦那は、全く違う名前を言う

「年齢は?」
65歳
…47歳ですシラー

しょっぱなから…とほほな気分に。

年齢は記憶が残らないので、年々変わることでもあるので、正確には言えない。がっ、65とは!?

でも、名前はわかってるはず。
おそらく名前は、ふざけて言っている。

旦那は退行もすごいのだが…
あらためて実感。

初対面の方にも、この調子むっ

密かに諦めてない、再就職。
でも、就職活動の面接でもこの調子なのでは?と、不安がよぎる…一発で落とされるわ!
まぁ、その就職活動なんてまだまだだけど…

それ以降の質問も、???な返答ばかり。

はぁ。
ただ、今回は区分がこれ以上良くならないように(区分がよくなると、受けれるサービスが減るらしい)、少しでもできないことがあれば、「できません!」と答えた方がいいので、ある意味良かったのだけど。
複雑ではある。

ちなみに、最近また、ホームで朝、準備をしないらしく、今日も着替えを嫌がったみたいで、パジャマで作業所に来ておりましたガーン

作業所に着いて、すぐ面談だったので、面談の方にもパジャマ姿で…

それも、ある意味よかったのかな

でもでも、今日の面談の受け答えをみて、少しも良くなってない旦那を実感、変わってしまった旦那をあらためて実感。。。

やっぱり悲しいなぁ。






旦那さんは、ダイビングが趣味でした。

倒れてから、シャントも入っていて、ダイビングはどうかなぁと思いつつ、でも、好きなことをして、いい刺激になればとも思っていた。

急性期の主治医には、検査診察のたびに、ダイビングは問題ないか確認したりして、主治医は「いいじゃないですか~ダイビング!」と!…ホンマに大丈夫?と少し疑いつつシラーでも、信じて!

そして以前、よく旦那がダイビングに一緒に行っていた方が、なんとダイビングに誘ってくれた!

その方はインストラクターの資格を持っていて、また障害者のガイドヘルパーの資格も持っているらしく、倒れてからもよく気にかけてくれてました。

そして昨日、4年ぶりにダイビング!
旦那は倒れる前、200本以上潜ってました。私はというと、20本弱。旦那が倒れてから、もちろん私も潜ってなく…かなりの初心者

旦那がダイビング中にけいれん起こしたりしないかと不安になりつつ、付き添いでいく私自身のダイビングの技量もちょー不安ガーン

当日は5時半起き。普段、なかなか起きず、用意も時間がかかっているので、待ち合わせに間に合うかどうかも不安だったけど、やはり“ダイビング”はうれしいのか、比較的すんなり起きて、準備もすんなり。待ち合わせにも間に合った。やっぱり好きことは早いのね。

いざダイビング!
私は、自分の器材のセッティングに必死。
旦那はなんとか、忘れてるところもあるようだけど、手伝ってもらいながらセッティングできてたみたい。

そして海へ…
旦那のことはお友達のインストラクターにお任せして、私は、自分が迷惑かけないようにと。

結局、2本潜りましたが、旦那は身体が覚えているのか、ゆうゆうとダイビング…らしい。
私は、旦那の事を見る余裕もなく、しかも
私のほうが、エアーが少なくなって助けられる始末あせる
後から聞くと、旦那も私が上手く沈めるようヘルプをしてくれてたらしい。
ありがとうね~

旦那さんは、手に擦り傷ができてたけど、痙攣など起こさず…ほんまによかった。

ただ!
夜にダイビングのことを聞くと、覚えてない…
わかってはいるけど、やっぱり悲しいね。

ダイビングが終わり、各自着替えや器材の片付けをするけど、旦那はウェットスーツやブーツをあちこちに脱いで、あちこちに器材を置いて…でも、旦那は何処に置いたかまったく覚えてなくて…みんなで探すことに。その間旦那はぼ~っとして探そうとしない。まったく!

総勢11名で潜り、うち6名は初めてあった人たち。ちなみに、皆さん100本以上潜ってるベテランさん。
みんな探すのを手伝ってくれました。
海の中では私が、みんなに迷惑をかけ、陸では旦那が…
夫婦で迷惑をかけてしまった。

迷惑をかけてしまったけど、でも、旦那が倒れてはじめて、無事ダイビングができてよかった。

インストラクターのお友達に、皆さんに大感謝!

帰りはみんなで温泉につかり、帰路にある但馬牛のどんぶりを食べて帰りました。

朝早くからで、心身ともに疲れたけど、そして未だに疲れ残ってるけど、行ってよかった~

次回は、旦那ひとり、ダイビングにいってもらおう~っと。私は、陸でお留守番。
そして器材はすべて名前書くべし!