自由への解放。その可能性。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
 今日は、あまり長くないので慌てずにゆっくり読んでください。
途中、どうしても腹が減る人は握り飯でも喰いながら、
エネルギーを補給してください。
   
                                   English translation wholly   
                                   Astonish, and after translating all pages into English clicking here 
                                   Please advance toward the page 
                                   that you want to read from the menu of the theme
                                   of the sidebar in the right. 
   
      
   
大勢の人の心にキャッチーなフレーズを
伝わりやすい音楽に乗せて
今の時代に生きる人々の様々な想いを歌う歌手、
“伊丹哲也”という人は、
来る、6月11日に、年間恒例の夏のLIVEを
江古田のライヴハウス、マーキー で行う。
今、哲也さんは、そのリハーサル中で、
毎日 何時間も、そこへ用意するセットリストを歌いこなしている最中…だと思う。
ファンのためでなく、自分自身のために。
   
んで、ここで(
このコーナーで)最近よく使われている、
1%の戦友(とも)」という言葉の意味。
読者の中には、これが何なのか? 意味がまったく分からない人もいると思う。
云い出した張本人は、伊丹哲也というアーティスト。その自らの発言で、
前回のLIVE(4月2日)
ストーンズの来日最終公演の日(さいたまS.A.)
その翌日に、ご本人のサイト
http://home.p02.itscom.net/fighting/ の中、
「今にみてろ、お前らには当日券なんかでは観れなくしてやる!
遠くの方から双眼鏡で見ないと、おれの歌は聴けないようにしてやる!
絶対にカムバックしてやる! お前らはおれの1%だ!」などということを
当日 来てくれたファンに対する喜びと感謝に溢れる気持ちいっぱいの思いで書いていた。
その当日チケットの値段(¥3,800)はともかく、
「1%」といのは、「可能性」という意味でもある。
しかも、「残酷な可能性」。 (…これじゃ、よけいに意味が通じんぞ
   
いやね、それもそのようなことを、昨年の秋、本人がそう云ってたの
   
んで、『今、胸に咲く戦友(とも)』という曲のタイトルの、
「戦友」というのは、なにも、『同期の桜』という唄にあるような、
霞ヶ浦出撃の神風特攻隊や、鶴田浩二さんの世界の話ではない
現実の世界という、この過酷な時代に生きながらえ、彷徨える人間の、
その一人一人が持つ宿命との闘い。
生きることは死ぬことより難しく、厳しく、そして険しい道のりにある。
ゆくあてのない孤独の旅。常に己との闘い。
そこにある命と命の絆。
…というような、
そういうものを意味しての、戦友【とも】という言葉がある。(俺の解釈だと。) 
   
んまぁ、何はともあれ、まず実際に、その曲を聴いてみてくれ。
まだ一回も聴いたことがない人も、
以前に途中まで聴いてやめた人も、もう一回、
 
   
http://home.p02.itscom.net/fighting/T.ITAMI%20OFFICIAL.html
 
このサイトのDEMO!・・・・ではなくって、
最近は、GALLERY1 という項目の最初のページに置いてある。
そこに並べられた曲目のうち、右の方にある2曲目。
マウスでクリックすると、自動的にリアル・プレーヤーが作動する仕組みになってて、
いつでもスグに聴ける。
   
前回のLIVE では、この曲が、カッコよくも、
アッシュ(assimilate) さんのドラムに乗せてラストナンバーに歌われたんだけど、
凄いパワーだった。
アーティストのLIVEには厳禁とされる、
「録音機を隠し持っておけばよかった」という気持ちにさせるほどの演奏。
かつて、世の中に“レコード”というモノが存在しはじめた頃、
チャーリー・パーカーの奏でるサキソフォンの音色のすべてが、
「名演にして名曲にあらず」 (本物の音楽は音源として残されない…というような意味
といわれた、ビバップ時代。
そんな、ジャック・ケルアックの小説『路上 にて / On The Lord 』に出てくるような、
あの、“憧れのアメリカ ”へ連れ去られたような思いにさせられ、
伊丹哲也という人の歌とギター演奏は、スウィングして、シャウトし、
ロッキン&ブルースの珠玉のメロディが煌めき、目の前に座る者を圧倒させる。 (なんか濃すぎるな
そんなマーキー の“ときめく夜”がまたやってくる。
    
前回は(いつもか?)、女性ファンも多く、若い人も大勢いた。
同じポプコン出身で、『SAY YES』のテレビ主題歌ヒットを皮切りに、
次の世代のメジャー路線へ生き延び、今日も頑張る、チャゲ&飛鳥。
そのファンの世代は もちろんのこと  ????
俺の横に座っていた女性も、哲也さんを見る潤んだ瞳は少女のようだった。
おそらく今後、デカイ会場(武道館など)で、ステージに立つ哲也さんになると、
「キャーッ!」とか「キーッ!」とか、遠慮せず、平気で叫んでしまうと思う。 (おまえ怒られるぞ
冗談はともかく、それほど、鉄矢…じゃなくって、今の哲也さんの歌と演奏は、
かつて、どこか関西のライヴハウスだったか、
店のカウンターの上へあがって、
相かわらずギターを炸裂させ、シャウトしていたSIDE BY SIDE 時代…
あの頃 ”以上のものがある。
・・・・当時、中学生だった俺は、
そういう演奏の姿を何かの音楽雑誌に載っていた小さな写真の中に見た。
あの場へ行きたかった…。
そのカウンターの上で燃える男の姿を見つめるファンの女性の眼差しも、
また印象的だった。 (誰かその写真、持ってねぇか? ここへ公開したい!) 
   
んで、今回の6月11日のLIVE では、何が演奏されるかは判らない。 なんか書いてる俺も熱くなってきたぞ!
昔つくったナンバーは、あまり演らないと思うけど、
それも、“今の伊丹アレンジ”になると、新鮮にも、
決して子供には聴かせられないムードの音色に変わってしまう。
前回のLIVEで、そういう曲が何曲かあった。『パークエリアの夜』とか。
俺としては、今回のLIVEで
新曲、一片の塵          GALLERY2 
という曲を
“超人 assimilate ”のスピード感あふれるブラシ・スティックさばきで、
イタリア映画に流れるような曲(?)にして演ってほしいんだけど、
そんなわがままなファンのリクエストは無理かもしれない。(無理だ!
もう、あと一週間しかないし。
あの曲は前々回のページ  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10012852422.html
でも紹介したように、哲也さんのサイトで、かつて数日間だけ公開されていたにもかかわらず
俺は自分で歌えるまで何十回も聴いた。
そして、“闘いつづける1%戦友”の『テーマ曲』…と、勝手に思い込んでいる。
   
決して、カムバックを夢見るような、そういう可能性の「1%」ではない。
一人一人が自己の中に、自分の人生に、
「FREEDOM!」を獲得し、そこに勝利をおさめるための…1%。
前回のページ  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10012915237.html
の補足になるけど、
哲也さん ご自身のサイトの中で、自分の誕生日(5月25日)の翌日に、恐れ多くも、
『バンソウコウ男』の話が “たわごとコーナー”へ書かれてしまった。
そのときそこに、
   
   「FREEDOM いかなる歌も我を解放させるべし!
   
という言葉と、
「歌が独立した自由解放運動の象徴だった時代・・・・」という話のくだりから、
伊丹哲也の歌は、「自由な翼」「体制からの独立」「革命」「解放運動」
そんなものからできている。
ということが綴られていた。
おれのたわ言”は、ご自身の意向から、更新され書き換えられるたびに、
「たわ言」なので過去のモノは残さないということになっている。
でも俺の場合は、ファンとして、(文章を書く人間としても)
印象的な箇所は、限られた時間に何度も読み返して頭に焼きつけるか、
あとでカンニングできるようにメモをとっておく。
勝手だけど、ファンの宿命だ。 
ほかでこんなことは絶対にしない。俺は勉強が嫌いだ。
   
そして、その日の“おれのたわ言”のページには、
血管に流れる真っ赤な血が見えないように
       おれの歌に流れる本質も また見えない

という云い方もあった。
   
どうするよ! こんな話を聞いて、男でもシビレルじゃねぇかよ。 (俺はそう思った)
しかも歌と演奏は、その言葉以上の説得力がある。
他にこんな歌手は今の日本にはいねぇべよ。 
   
でも、マーキー のライヴ会場は狭いので、あまり大勢で詰めかけないでください。
俺が座る席がなくなっちゃう。
   
   
俺は今回、単身で東京へ上る。
前回は家族3人で行って、途中、演奏なかばに俺だけになってしまったけど、
色々と都合もあり、今回は子供も連れて行けなくなっちまった。
もっとも、まだ5歳なので、そんな夜のライヴハウスへ同行させる自体が、
世間からかけはなれてる“屈折ファミリー”かも知れないけど、
今のところ、俺の屈折した性格は子供には遺伝…あまり影響してない…様子。
心配ない。子供は放っておいても勝手に大きくなっていく…らしい。
そして、親がどんな思いで子供を守っても、子供には親を守れる力はない…らしい。
生きることを支えてくれる力は持っていても。
   
そういう生活の中で俺は、
15歳のときから本格的に歌っているという歌手、
伊丹哲也のデヴュー当時から変わらず今日まで保ちつづけられてきた
「解放運動」のエネルギーを、自分の子供にナマで観せることができた。
これはかけがえない。
今の日本に生息する人間の5歳児では、俺の子供一人だけだ。
これは、どんな英才教育よりも優れたもんだ! 
と、勝手にそう思い込むバカ親になってる俺がいる。
「これが本物の音なんだぜ」
ということが判る人間になって欲しい願いでな。
だから5歳なのに、既に、
ストーンズのステージも、2回、体験させている。大阪と東京で。
   
   StonesDaytoday01
   
その子供。一龍いちろう】(名前)の眼差しは、何を観るにも常に真剣だ。
生きることに真剣勝負。そして、スゴイ記憶力。(子供だからな
U2の凄まじい映像パフォーマンスを一度 見せると、
誰がどうしていたのかを事細かに覚えている。
そして、「ゆーつぅーも観たいんだよ!」
と、来日予定のライヴ・ステージ へ連れて行くよう、せがむ。
「U2はまだ早い。あれはもうちょっとしてからな」
「いつ? どれくらい? しょーがくせいになってから?」
「そうだなぁ、中学生くらいな」
「チューがクサイの?」
などという会話のほか、
本人は 一個¥680のブルース・ハープを3個 持っている。
「こうやってコレを吹いてたんだよ」
と、哲也さんの真似もする。
   
「ちゃんとしたギターが欲しい!」
「あるじゃん、俺のが。」
「アレはおおきすぎるんだよ。こどもでも持てるヤツだよ」
「…今度な、こんど。」
「コンドって、いつ? あした?」
「あしたじゃねぇよ。そのうち。いつかな」
「…イツカってことは、4のつぎの日のこと?」
「そうじゃねぇよ、いつかはいつかで、まだ先って意味だ。
ちょっと待ってて。今お父さんはカネがねぇんだよ。
そのうち買ってやるよ」
という俺としては、ギターよりもトランペットを習わせるつもりでいる。
タイガー大越さんのように、肺活量のある胸板の厚い男になってほしい。
もっとも、アレはトロンボーンだったか…
深い肺の呼吸は、全身の筋肉細胞を活性化させる。
筋肉は全身の肉体そのものだ。
自分の心が動かす、日々を生きるために使う肉体という道具は、
いつまでも健全なモノであってほしい。
だから、トランペットを吹かせたい。
佐渡の山奥から海の向こうの彼方へ届くほどの音色を響かせて…。
バカな親だ。 本人が持って生まれた能力も知らずに。
   
とにかく俺は、“音楽”というモノにこそ、
唯一、今の時代に残された人間の自由がハッキリと認識できるはずの、
その材料の一つがあると信じている。
だから今は、仮面ライダー兜やスーパー戦隊シリーズの唄も盛んに歌うけど、
今の哲也さんや、かつての泉谷しげる、ストーンズやU2を
部屋の中に四六時中 流している。
パソコンから流れる、本人(一龍)の云うところの「てつやさんのうた」の中で、
いちばん気に入っているのは、『ご苦労さん』らしい。それと、
おまえは、どぉーして、そぉあてないみちゆくぅ~」 (『立たされ坊主』)
とかを歌ってみせる。
“哲也節”のいちばん印象的な盛り上がり部分が、頭のなかに焼きついている模様。
俺の子供には、ロギンズ&メッシーナやドゥービー・ブラザーズのCDは要らない。
かつてアメリカの地で栄えたロックの黄金時代は、
そのすべてが、哲也さんの歌の中にある。
これも俺の勝手な解釈かも知れないけど、そう信じているファンの俺。
もし子供本人の要望があるなら、いつでも何でも聴けるように、
トム・ペティも、スコット・ウォーカーも、ホリーズでも何でも、
ラジオ番組でエアチェックしたカセットテープが何百本とあるけど、
それはそれで、貧乏人の趣味で溜まりこんだ音楽ルーツの残骸に過ぎない。
まぁ、ほかにもプレスリーとかイマーノの兄貴の歌とかサザンも聴いてるので、
偏ってはいないと思うけど、
俺のように幼少の頃、ショパンだのブラームスだの無理矢理に聞かされてきた者としては、
化石ではなく、もっと現代人として自由を体感してもらいたいわけだ。
機械のボタンを押してピコピコ・ミュージック、ジャラジャラジャラのような、
エフェクト、イコライザー処理まる出しの流行りモノは、時々テレビで見流す程度だな。
   
そういう意味では、もう少ししてから、
メル・ギブソンの映画とかも観せようと思う。
たとえば『ターミネーター2』は二歳の頃から何度も観ている。漫画だからな。
タイトルはなんだったか? 
歴史モノで、最期に首を切られ、処刑される寸前、
あまり似合わない長髪姿のメル・ギブソンが、
「フリィ~ダァーム!」
と叫ぶラストシーンがある。
あれだ。
あれをまず観せる。
残酷だが、人間が最期まで諦めず、自由を追い求める姿。
あの映画には、そういうモノがあった。
そして、今も変わらず歌い続ける“伊丹哲也”という人間のつくる歌の世界にも、
それがある。
   
FREEDOM。いかなる歌も我を解放させるべし!
ご本人がそう云っていたように、
その意味は俺自身の中でも常に、
現実の世界に生きる人間の、あらゆる苦悩や束縛、
あるいは、不条理にも憑きまとう呪縛からの解放。
生と死の本質の見極め、
自然界に生かされる人間の、本来の存在理由の証明…。
云い方はまた重苦しいかも知れないけど、
そういう意味での人間の“自由”、FREEDOMだ。
権利とか主義主張とはちがう。
言葉にしてしまうと、意味が色々に拡散されてしまうけど、
人間の言葉には人間では理解できないことを表現するのは不可能
だとは、俺は思わない。
ただ、哲也さんの作る歌の、その歌詞にある一つ一つの言葉のように、
見事にまで慎重に選択された言葉の組み合わせ。
あれは普通…、
あれほどまでに日本語の域を超えた日本語はない。 (なんだ
もちろん、今の俺には書けない。
この意味は、文章を書く人…そういうことを仕事としている人なら理解できるはずだ。
伊丹哲也という作詞家ほど、
人の心へ届ける言葉を慎重に吟味し、選ぶことに神経を使っている作詞家も、
世の中には少ない。 
   
日本語の持つ力。
人間の血の色がいったい何色なのか? 
ただの「赤」なのか、それとも「朱」なのか? 
黒澤明はどうして、
白黒映像なのに、赤い色の椿を観る者に「赤い」と理解させることができたのか? 
俳優、三船の吐く台詞に、どんな説得力があったのか? 
それを言葉が通じないはずの外国の“映画好き”の若者が観て、聴いて、
あれらの“言葉の響き”から何を感じ獲り、今日のハリウッドがあるのか? 
歌手、そして作詞作曲を30年以上つづける伊丹哲也という人間は、
そういう感覚を自分がつくる歌の歌詞に凝縮させている。
しかも、その“日本語の威力”、“言葉のエネルギー”というものを、
人の心へ伝わりやすい“音”に乗せて並べる。
この能力はハンパではない。
すると、
   
血管に流れる真っ赤な血が見えないように
         おれの歌に流れる本質も また見えない

   
その言葉の意味も、幾らか、
まだ未だに、ライヴハウス マーキーへ足を運んだことがない人でも
理解できる…かも知れない。
   
   
待ってるよ。
マーキーのあるビルの吉野家の地下、入口前でな。
   
自由への解放の入口。
そして、様々に逃げ道を模索した昨日、
見つけようにも見つからなかった出口の扉は、そこにある。
きっとな。
   
   
日曜日だし。
   
   
   
http://www.marquee-jp.com/
   
   
   
   
   
   
   
   

   
   
   
   
   
   

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   2006年6月11日 雨のLiveレポート へ つづく。
   
    http://ameblo.jp/badlife/entry-10013570876.html