びっくり箱みたいな旦那 No.2 | バリ島でオリジナルシルバーを作る、感じる。

バリ島でオリジナルシルバーを作る、感じる。

バリ島で暮らしています。
日々暮らして行く中、自然を見ていて感じるインスピレーションを
デザインし、オリジナルシルバーを制作しています。
そんな毎日に感じる事を綴ってゆきます。

旦那は学校を終えた後、生涯の仕事と自分探しの為に
インドネシア国内をグルグルした、と書きましたが
昨夜ふと、カリマンタンに行った時は何歳だったのか?と聞いたら
17歳ぐらいだった、との事。
旦那は子供時代とっても悪戯坊主で、中学を卒業し高校へ行こうと思っていたら
どうやら何かのブラックリストに載っていたらしく
旦那の実家があるブレベス地方の高校は、すべて受け入れ拒否状態で
お父さんは、別な州の高校を探しなさい、と言ったそうだが
仕送りの事やら、学校と言う制度自体に疑問を持っており
「遠くの学校に行くぐらいなら、もったいないから仕事をする」と言って
喧嘩になったそうだ。
それなら、専門的な事を習ったほうが良い、と思い
2年ほど、実家から50kmぐらい離れた場所にある、自衛隊の船の学校に行ったらしい。
そこで、船のエンジンの勉強をしたけど、そのまま自衛隊には入らなかった。

その延長で、船の仕事が見つかり、インドネシア国内をグルグルしたのだ。

さて、連れてこられたインドネシア語が少し出来る人は
「どうしてこんなところで眠っているんだ?」と言う事と
「どこから来たのだ?」と言う2つの質問をしてきた。

それで旦那は、カリマンタンが見てみたかったので船の仕事を辞め
ここまで歩いてきた事と、自分の出身地を名乗った。

そうかそうか、お腹は空いていないか?と言われ
そう言えば、昨日はろくなものも食べずにいた事を思い出し
ついて来いと言われ、その人たちの後をついていく事にした。

しばらく森の中を歩くと集落が見えてきた。
家はすべて、床が高くなった木で出来ており、森の中には普通にオラウータンが
うろうろしている事に気がついた。

村には、水牛がたくさん放されていて、鶏がそこここで餌をついばんでいた。
女たちは、朝の日課であろう仕事をしていて
男たちはどこかに行っているのか、あまり見当たらなかった。

とりあえず、長老に会わせるので、一緒に来なさい、と
長老の家に連れて行かれた。
長老の家と言っても、そこここに建っている家と同じような家で
長老は庭で薪を切っていた。


これは、東カリマンタンのダヤック族の典型的な家。
写真はお借りしました。
旦那がここに着いた時には、一体どこなのかも分からなかったが
インドネシア語ができる人に聞いたら、ここはカリマンタンの西側で
ダヤック族だという事だ、と言うのが分かった。
写真はお借りいたしました。

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連れてきてくれた2人と村長がしばらく話した後
「これから、訪問者を迎え入れる準備をするのでちょっと待っていなさい」と
長老の家で、お茶を出され、何が始まるんだろう?と待つ事にした。

と、30分もしないうちに、村じゅうの人々がワラワラと長老の家の前に集まった。
先ほどは見当たらなかった男たちも居た。

それから誰がどう手配したのか、料理用の食物が山の様に用意され
女たちは、料理の道具を持ってきて、そこで料理がされ始めた。
男たちはイノシシの肉をさばき、皆和やかにそれに参加していた。

女も男も、その地方の民族衣装の普段着の様なものを着ていて
子供はどこの世界の子供もそうな様に、好奇心満々な顔で
旦那を見たり、そこらを走り回ったり。

料理が用意されたところで、長老の周りに人が集まり、長老の後ろに
男性たちが、その後ろに女性たちが座り込んだ。
長老は普通の声の大きさで話すのだが、それを近くの男たちが
後ろの人に伝え、その後ろの人はそのまた後ろの人に伝える。
女性たちに伝わるまで、その形で話はされていく。

インドネシア語ができる人は、旦那の横で控えていて
それを旦那に伝えるが、話は半分ぐらいしかわからなかった。

「では、これからウパチャラ(祭り事)を始めます」とその人が立ち上がったので
旦那もつられて立ち上がった。

「はい、では、今着ているものを脱いでください」

「.........................はい?服を脱ぐ???」

「はい。全部脱いでください。そしてこれに着替えてください」
と、インドネシア語のわかる人は、ダヤック族の民族衣装を差し出した。

「........................全部って、パンツもですか?」

「そう、全部です。スッポンポンになって下さい」

「.......................って、こんなにたくさんの人の前で?」

「大丈夫です。脱いでください」

............................一体何をするのやら、半分もわからないけど
もうこうなったら、まな板の鯉。なる様になれ......だ.........とほほ。

村の人々は、子供も含めて皆、座って近くの人とこの地方の言葉で
おしゃべりをしていたが、この辺りで静かになった。

..........................おいおい。静かにならなくて良いのに......................


仕方なく旦那は、着ているもの(と言っても、トランクスとパンツだけだったが)
を、エイっとばかりに潔く脱いだ。

と、長老は旦那のお⚪︎ん⚪︎んに目が釘付けになった。

いきなり旦那のお⚪︎ん⚪︎んの先端を掴んだかと思うと、通訳の人に何か言った。

「..................???なに????」と、旦那は不安になった。

我が旦那は、宗教観はクジャウェン
(クジャウェンと言うのは古代ジャワの宗教観で、日本の古神道
あるいは、アミニズム、という様な宗教観です。
宗教観であって、宗教ではありません)
だが、KTPと言う、こちらの身分証明上は両親から受け継いだイスラムだ。
なので、10歳の頃にスナットと言う儀式で、包茎手術の様な事をしているのだ。


「ええっと.....」と旦那はその事を説明する。
ダヤック族は、ダヤック族の代々続いている宗教観の中で生きている。
旦那が17歳ごろだったという事は、今から30年も昔の事。
当時は、その村には電気も無かったし、ましてやテレビなんてものも無い。
初めて見る、皮のないお⚪︎ん⚪︎んは、相当珍しかったようで
長老はしばらくそれを眺めていたが、「なんでそんな事をするんだ?」と聞いてきた。


そうだよなー。そういう事、イスラムの人ってどの位分かっているんだろう?
と、子供の頃に思った宗教のいろいろな疑問を思い出し
自分の心の中にまた生まれた、長老と同じ疑問を考えながら
「男として生まれての通過儀礼だと思います。」と答えた。


ふーん、そういう事か....では、儀式を始めよう
そこの服を着なさい、と、インドネシア語のできる人が差し出す服を
旦那は着込んだ。


その場にいた人たちがまた和み初めて、おしゃべりをし始めた。



続く