ボトックスを医療に最初に応用したのは、アラン・スコット博士とエドワード・シャンツ博士です。彼らは1970年代にボトックスを使って筋肉の過剰な収縮を治療する方法を開発しました。この発見は、特に眼科での利用が先行し、斜視や眼瞼痙攣の治療に使われました。その後、美容分野にも応用が広がり、現在ではシワ取りなどにも用いられています。

アラガン社ではボトックスだけで年間30億ドル近くの売り上げがあるそうだ。


 以下参考文献


ボトックスの誕生は、アラン・スコットとエド・シャンツの2人の科学者のおかげと言っていいだろう。
スコットは眼科医で、1960〜70年代に斜視の治療法を研究していた。一方、シャンツはメリーランド州フレデリックにあるフォート・デトリック米陸軍感染症医学研究所(米軍の生物兵器開発の中枢だ)で、ボツリヌス毒素の精製に取り組んでいた。
シャンツはその後、ウィスコンシン大学でボツリヌス菌の精製法を完成。同僚の紹介でスコットと出会い、ボツリヌス毒素の提供を開始した。当時は輸送の管理もほとんどされておらず、シャンツは結晶化したボツリヌス毒素を二重の金属管に入れて、スコットに郵送していた。
やがてスコットは、ボツリヌス毒素を医薬品に加工することに成功。オキュライナムと名づけて、同名の会社(Oculinum, Inc.)を立ち上げた。オキュライナムは1989年に斜視と眼瞼痙攣(まぶたのけいれん)の薬として認可された。アラガンはその実施権をスコットから取得し、1991年に発売した(商品名は翌年オキュライナムからボトックスに変更した)。
アラガンは当初からボツリヌス毒素の危険性を認識して、慎重な取り扱いを徹底した。
「いつも注意してきた。間違いなく世界で指折りの危険な薬物だと知っていたから」と、アラガン創業者の二代目で長年CEOを務めたギャビン・ハーバート・ジュニア(85)は言う。「初期にアーバインで作った原料も、小さなロットをプライベートジェットで運んだ。警護付きでね。つねに慎重に慎重を重ねて扱った」
アラガンのミッチェル・ブリン最高科学責任者(ボトックス担当)は、ボトックスの開発初期から極めて重要な役割を果たしてきた。ブリンはコロンビア大学の神経学者(専門は運動障害)だった1980年代、スコットからボトックスの供給を受けた(スコットは当局から、ボトックスの薬効を評価する許可を得ていた)。
そこでブリンは、顔、あご、首、四肢に重度の筋収縮を持つ患者に、ボトックスを投与し始めた。その威力に対する彼の畏敬の念は、今も変わっていない。今でもブリンは機会があるたびに、ボトックスを投与された患者のけいれんが治る映像を見せたがる。
ブリンのオフィスは、さながらボトックス博物館だ。ロシアに売り込みに行ったとき買ったマトリョーシカ人形など、思い出の品が数多く保存されている。
ボトックスは彼の人生と言ってもいい。愛車のナンバープレートさえ、「BOTOX」にしているほどだ。
(執筆:Cynthia Koons記者、翻訳:藤原朝子、写真:Hailshadow/iStock