さて月日が経つのは早いもので、帰国してから早くも1ヶ月が経過し
バックパッカーなんて呼ぶにはすっかり体も油断しきっています。

そろそろここらで自分の中で区切りをつけようと
つまるところ僕の嫌いな自分のことをお話するということです。

では、そもそもなんで旅にでた理由というところから
この質問は、いろんなところから聞かれて
その度に行きたかったからと答えて、
つれない顔を拝んできました。
実際それがホントやから仕方ないのですが、
別の期待されてる方の回答をするならば少し話を過去にさかのぼることとなります。
どこからという境目がめんどくさいので最初から。

これはこれまで幾度となくいってきましたが僕は、滋賀県のとある田舎町
今年3月21日に合併が決まりその名が消える安土城があったという安土に生まれます。
小さい頃からしょっちゅう家族で旅行行ってたかというと

僕が奈良の鹿にせんべいを夢中でやっている内に家族がこっそり隠れて、
気づいたときには鹿ばっかりで誰もいないという
年端もいかない子供に通じるはずの状態をつくりだし
泣きじゃくるの影から見てたと
嬉しそうにしゃべるクソジジイの話をよく聞かされたり。
たぶんこーいう母方の京都人の腹黒さが
僕の性格のねじれや口の悪さにつながっているんだと信じています。
早朝に牛乳配達してる小学生が笑顔で元気に挨拶しながら
腹の中で寝とけよババアと思っているなんて一体誰が想像できるでしょう。

あんたここ連れてったったやないのとよく言われますが記憶になく、
物心ついた頃には、スポ少やら学校やらでほとんど旅行をした覚えもなく。
また、両祖父母も引っ越して半径150m範囲内にいるので
いつも迎えるばっかりで里帰りというものも存在せず、
GWなんかも皆さんが、やれどこどこ行ったと嬉しそうに語らっていらっしゃるときにも
農耕民族NIPPONJINの僕は、兼業農家のGWは田植えという伝統に従い
毎年ヤンネンから段取りちゃんとしとけやとイライラしながら
稲箱を洗ったり、肥料を運んだり、祖父の養鶏所の手伝いをさせられているのでした。

というか、行きたくてもいけないというより
そもそも行きたいともあんまり思わへんし
思ったとしても行き方が分からないというのが実際のところです。
京都に行くなんてこたぁ、ちょいとした冒険てなもんです。

さて、話は大学2回生の頃です。
その年のGWに富士山登ろうとして5合目まで行ったものの
「富士山登りたいんですけど」
「アイゼンとか持ってらっしゃいます?」
「?」
「そのカッコじゃ死にますよ。」
「えっ、富士山て一年中登れるんじゃないんですか」
「昨日も滑落してヘリで運ばれていかれましたよ」
「帰ります」
といって、わざわざ滋賀県からでてきてお茶一杯もらって
次のバスまでの待ち時間=滞在時間30分を記録したあの年です。

その年は、はしかが流行して突如1週間の休みがぽっかりと発生
どうしよ。
1日ほど考える。
屋久島ってツアーいくら具合なんやろ。
5~6万。
ふところ具合を確かめる。
5万ある。
行こ。

これが僕にとって初めての一人旅といえるものです。
なんで屋久島かというと、高校の教育実習に来ていた先生がいいって言ってたから
お金は足りんようになれば、面白そうやしヒッチハイクでいいやくらいの考えで。
行き方は、その都度携帯でルート検索したり、人に聞いたり。

鹿児島から屋久島を結ぶ貨物船の中で大阪からママチャリで来た人に出会って
話聞きながら屋久島一緒に登って。
山小屋で知り合ったオジサン達にタクシー代とおひねりもらって
ちょっと御馳走食べたりして。
帰りは、高校のマッツンにぐっさんの家無理やり泊めてもーて。
宮崎の南端から宮崎市内まで
昔フランスに料理修業いって今は居酒屋やってるはる人にヒッチハイクして。
そっから大阪までフェリーで帰るつもりやったけど道迷って乗り遅れて
広島まで電車でいって。
高速道路の入口で、高速のる人待ってたら
ついさっき高速から降りてきたのに僕を見たから戻ってきたという
シャネルの大好きな結婚相談所の社長にSAまで乗っけてもらって。
おまけにトラックのおっちゃんに、しかも停車してるトラックの戸をたたいて
行き先聞いて乗せてくれる人を見つけだしてくれて
ご飯も御馳走して、家来るかーとまで言ってくれる人に出会って。
大人しい人なんかと思えば、さすがラジオのヘビーリスナーなだけあって
しゃべりも達者な浜松のあんちゃんに滋賀まで送ってもらうのでした。
ここで、およその旅のスタイルやスタンスというものが決定したといえるやもしれません

そして、この案外なんとでもなるやんで味をしめた僕は、その夏
タイ・カンボジア・ベトナム・ラオスに1ヶ月初の海外1人旅に行くことになるのです。
トレッキングやパクチーが以外と自分にはまることや
炭酸水の美味さなんかを発見しながら
ここでも、なんとでもなってしまうのでした。

ただひとつ告白するならば、そこである忘れられない夜があったということです。
船で一緒になったカナダ人の女の子とダブルで同じ部屋に泊まることになったとき
気の利いたこともほとんど話せなかったというふがいない夜の方ではなく
沢木耕太郎の本の中にも出てくるサイゴン河のほとり
ホテルマジェスティックのあるベトナムのホーチミンでの夜です。

その頃旅も後半戦にさしかかり慣れない気候やハードな日程のために
風邪を引いておりました。
それでも、持前の貧乏性を頼りに観光を続けます。
疲れからかいつものオートリクシャーの運転手からのひつこい勧誘や
やすい挑発にも苛立ち、声を荒げてしまう始末。

日が暮れていく内に急に雨が降り出すものの傘を宿に置き忘れてしまい、
宿までもそこそこ距離があるという状況で、しばらく雨宿りをすることに。
そこは、フランス占領下の影響で石造りの建築やオペラ座もある
こじゃれたレストランや高級ブランドを扱う店や観光客も多く訪れる一角で、
家族やカップル、仲間を連れて歩く人々を街灯やライトアップの照明が照らし出します。
いかにベトナムといえど、9月の後半となり雨降る夜となれば肌寒さも感じられ、
弱った体には辛いものです。

そこへ一人の10才ほどの女の子がやってきます。
その子は、青と白のドレスを着ていてミント味のガムを売っている女の子で
ガムを買わないかといってきます。もちろん英語ではありませんが。
首を振ってもなかなか許してもらえません。
拒み続けると諦めてくれたのか女の子はどこかに行ってしまいました。
けれど、しばらくすると戻ってきて買わないかと言ってきます。
そんなこんなを何度か繰り返し
途中、同じドレスを着た友達2人を連れてきたり
ひまわりの種とかスルメみたいなんをくれてりしながら。
そして時間になったのか、最後に祭りのときの縁日とかで売ってる光る腕輪の、
オレンジの光らんくなったやつを僕の手首にしてくれて
手を振って消えて行ってしまったのでした。

雨が多少おさまったので僕は宿に向かうことに
雨が激しくなってきたのと食事を取っていないので、
お菓子でも買って夕飯替わりにしようと思い
ガソリンスタンド脇にあるコンビニに寄ることに。
またここでしばらく雨宿りです。
すると脇で座っていた7才くらいのホームレスの子がお菓子をくれと手を出してきます。
基本的に施しというものをしないことにしている僕はもちろん断ります。
そしてお約束のクレ、ヤランの繰り返しです。
ここで面白いのがこの子が切り替えて手首持ち上げて
タカイタカイみたいなことをしてくれとせがんできたことで、
どうせすることもないから何故か遊んでやることに。
その子には、お姉ちゃんがいるんやけども
その子も恥ずかしそうにしながらやって欲しそうに見てるから
お姉ちゃんも一緒にやってあげる。

なんやかんやと半時間ほどそんなことをしながら
その子たちとも別れて宿に戻る。
道中もう一人僕と同じ年くらいのホームレスとすれ違う。
別になにかあったという訳でもないこの話。
その時の精神状況っていうのもあるんやけれども
ただ、僕の中ではなんともやりきれない
喉元からエグイものがこみあげてくるようなそんな気にさせられます。

なんやろうか、
僕は、初めての海外っていうこともあって
なんで海外までいって日本人とおらなアカンねんとか
なんでもやったるわいみたいなことを気負い過ぎてた節があって
結構一人でいることがおおかったわけで

僕は物乞いや物売りの子からモノを買ったりお金をあげないようにしてる
別に日本の物価からすればなんてことないことなのですが。
それが適正な価格だったり、本当に欲しいものであったり
そこでしか買えないものであれば買う
彼らにも生活がかかってるから、それこそ必死でかかってくる
でも、そこでカワイイからという理由だけで
こちらが折れてしまうことがどうも納得がいかない
でもそのカワイサっていうもんは、脆弱ではかない
幼さは、すぐに消えてしまう
それで生活が成り立つ限りそれを続けるだろうし
その金がどこに行くかといえば親にいくのがオチだろう
そういった子供たちが学校に行っているとも考えられない
なんの能力も身につけないまま成長して
そうなったときに彼らの生活はどうなってしまうのだろうか

だから僕は、そういった団体や
恒久的に彼らの財産となる文化財への寄付にあてたいと思う
それっぽい子どもの写真だけ撮って、ハイサヨウナラっていうのは
無邪気な子どもたちの笑顔を盗んでいるだけで
じゃ~その子とお前を結びつけてくれたのは
一体なんやねん
人への金はケチるくせに、自分への金は贅沢すんのかよ
そんなことを思っていた
もちろんカワイソウって思う
寄付をしたところでこの子たちに配分されるとも限らない
それよりも明日どうなるかも分からないこの子たちの
今に力になりたいとも思う
自分一人そう思ったところでなんら意味のないことも



で、結果はどうかというと
先進国から旅行でやってきた自分が
あんな年の子にまで構って遊んでもらっている始末で
この国の侵略という歴史
しかしそのおかげでこの街の発展があること
一方でカワイソウって言っておきながら
大人では性病やエイズの危険性があるということで
幼い子供たちがセックスツーリズムの商品となっていること
それも信じられないくらい安い値段で
なんて身勝手なことか
コンビニの子たちは、店員のおばちゃんに
店の中に入ってくんなと怒られてるけど
なんやかんやで仲良くやってる感じ

なにが幸せとか正解かなんてことは分からない
日本だって貧しいことも苦しいこともある
だから、国内であろうが海外であろうが
そんなことはどうでもいいことで
同じ人として生まれてきたのならば
なんか力になりたい
そしてそこにチャンスを求める人がいるならば
少しでもチャンスを与えてあげたい
そんなことを考えるようになった




高校3年生で部活も引退したとき
放課後勉強もしないで僕は、教室の隣の生物講義室で
毎日喋っておりました。
楽しいけど退屈な毎日
現状から抜け出したいけど、
どーすればいいのか分からないもどかしさ

もっと知りたい理解したいと思うようになったのは、
このときのことがあるからで。

身の回りで起こっていることひとつとっても
知らないことがどれほどたくさんあるか
またそれが無責任であるかも


前置きをたっぷりとしたところでそれでは、いよいよ
世界一周したいと思うようになったわけ何を思って旅に出たのかというところをお話していこう思います。
最初のキッカケは特にこれといってないないです。
いつの間にか自然と自分の中に入ってきてた
どうせ行くなら一気にいったほが安いし
なんか面白そうなことがありそうやん。
あとなんか響き的にいい感じやし


僕は、ずっとすごい人になりたかった
具体的にどーってことはない
なんかすごい人になりたかった

とになく何が自分に向いてるかなんてこと分からんから
とにかく色々やってみることにした
今まではやりたいことがあっても
それをどうやって実現したらいいかも分からんかったら。
その内に気づいてくる
別にこれがめちゃくちゃ好きってもんもないし
これだけは、誰にも負けへんっていうようなこととか
特別な個性ってもん何にもないなーってことに

それでもどっか諦めきれん部分があって
オモロソウなことやってる人とか見ると嫉妬してしまう
俺だって。

だからもがいてみる
もがいてみたけど結局なんにも見つからんかって気づく
自分がいたって普通で
そもそもそんな覚悟もなかったんやってことに

こんな単純なことに気づくことに随分時間が経っていたし
沢山の人に迷惑をかけてきってしまった
正確に言えば気づいていたけど認めたくなかった。


だから大学生から社会人になる節目として
自分でもシフトチェンジをしようと
そらそうやもんな
自分がどうなりたいかも分からへんのに
どうこうなるってことなんてあるはずないのに




だから自分の中で色んなことを普通のことにしてしまおうと思った
1日でもその国に行けば、そこに関心を持つようになる
もっと知りたいと思うようになる
だから僕の旅のスタイルは初めから決まっている
たとえ肉体的に苦しくっても一つでも多くの景色と出会う
時間が足りなければベッドで寝なくてもバスで寝ればいい
一カ所滞在でのんびりと過ごすこともモチロン魅力的だし
気づくことも違ってくるだろう
というかむしろそっちの方が楽しいやろし

でも、一度でもその地域に訪れたなら
きっとそれは、今までよりももっとリアリティのある問題として
言い換えれば今まで遠い国の出来事だったことが
当事者であるかのように身近な問題として感じることができると思ったから。




インドからの飛行機の中で
僕は、ある日本人の男性と出会う
その人は、30歳で脱サラして
それから絵の勉強のために芸大に通い





世界一周してみて感じたことは
世界一周そのものなんてほんと誰でもできるんやなってことで
もちろん行く前は、そんなこと想像もできなかったことやけど
高橋歩も別になんら対したことはしてないのである
そこがいったいどんなところか、
どうしているのかっていうことがイメージ出来ないから
なんだかスゴイことのように聞こえてくるけど
実際のところは、最初に1年間で
沖縄、徳島、広島、京都、名古屋、東京、青森、北海道っていくとこ決めて
その地方地方で泊まるとことか何をするかってゆうことを
その場でその場で決めていくってことを繰り返すだけで
海外になっても、言葉が英語になったりするだけで
田舎いったら方言で、味噌汁が赤みそやったってことと基本的に変わらんのです
まして金と時間がそこそこあって奥さんと新婚旅行なんて状況なら
当然ムチャするにしても制限することが増えるだろうし。

ただ本当に彼のスゴイところは、そこで完結してしまうのではなく
派生して旅を本にしたり講演会をすることによって
次に繋げビジネスにしてしまっているところだと僕は思っている。








で、最初は、ピースボートしか知らんかったから
ピースボートで行くつもりやったけど
オリターで担当になってたクラスの教授が学会とかでしょっちゅう海外行く人やって
その人から世界一周航空券のことを教えてもらって
んで、どうやら値段も手頃やぞということが分かる

これが2回生のゴールデンウィークを過ぎたころ




このことがこれからどうなっていくのかちょっと今の時点で分からん
お店で注文することですら緊張してた
隣の町に電車で乗ることですら冒険やった
自分が出来んかったときのことなんかあっという間に忘れてしまう
いつまでも素直にそして自由に

活かすも殺すも自分次第
どうぞ10年後お楽しみに


そもそも僕は、それほど明るい性格でもないし
少なくとも自分ではそう思う
人見知りもするし。
もちろん表面上は取り繕うことは出来るけど。
忘れたいことや後悔すること
人に嫉妬したりダメな人間やって思うことばっかり
それがちょっと小さい頃に吉本新喜劇見てたもんやから
オモロイって思われるのが好きなやから
たまにちょけてしまうだけで。
ただ、
だから僕は、すごいなーとか言われるよりも
オモロイなーって言われることのが嬉しかったりする

でも、そんなんやから二度とあんな思いしたくない
あいつよりもオモロイことしたる
もっと頑張ろう
そう思うことができたと思う


この旅の目的である自分が普通であることを認めること

だから僕は、本来の僕に戻ろうと思う
最近何してるんって聞かれても
いや特に何にもしてへんよって答えることも多くなるかもしれんし
なんやつまらんよーになったなーって感じるかもしれん

諦めたかというとそうじゃない










僕の聞く、なんかオモロイことないっていうのは
ほんまに腹抱えて笑うような類のおもしろい話をしてくれってことなんかじゃなくて
あなたが最近努力してることとか関心のあることを聞いているのです。
人が本気になったり努力してる話っていうのは面白いし
その人のこと応援したくなるし力になりたいと思う
だからたぶん聞くと思う
なんかオモロイことない?






今の日本や自分が多くの人の尊い努力のもとに成り立っていること
そして同じ人として生まれてきたからには何か力になりたい

自分が生まれてきた環境、お世話になった人たちに恩返しすること
そして尊敬される日本でありたいこと
自分の性格的には万人に援助というよりも求める人や努力をする人に対して応援したい、それが僕の役割として。他の部分は他の人に違う形で協力すればいいと思う。

決して卑下するという意味ではなく自分は、自分の出来る範囲で努力すればいいし
人に頼るべきところは人に頼ればいいと思う。



僕がどうしたいのか
根源に
ひとつの答えとして
理解したい
自分を知ってほしい
他人と交わりたい