2018/09/30に気を失って。 | 自由に楽しく美しく♡

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娘の誕生から東京ライフのあれこれ

 

 

 

 

9/29 39度台の高熱。

夕方ファストドクターの往診で

インフルエンザは陰性。

 

先生が帰った後

貧血がひどくなり下痢がはじまる。

 

翌9/30朝、トイレに立ち上がるも

トイレの中で座ったまま気を失った。

 

薄っすらと意識が戻ると

目の前は真っ暗。

(視力がなくなることは小学生からあったので慣れている)

なんとか部屋のドアまでたどりついた。

「スーちゃん、ドア開けて・・・」

自力で開けることができなかった。

再び気を失った。

 

スーちゃんが何か言ってる。

自分の状況が理解できず

「んん? どうしたの?」

かすれるように返事をした。

意識が朦朧としてる。

 

シェアハウスの人たちがたくさん集まってくれて

救急車を呼んでる。

汗を拭いたり体を冷やしたりタオルをかけてくれたり。

 

スーちゃんが呼んでる。

「ママ ママ」

「ママ死ぬの?」

 

救急車が来た。

「お名前言えますか?」

「手を動かせますか?」

 

病院に着いたら

一瞬楽だったような気もする。

職場に電話したのが精いっぱいだった。

彼にLINEする。

少しでも動くと貧血になるから

自力では起き上がれない。

トイレも行けない。

水も飲めない。

夜にはもう耐えられなくなってた。

 

「もう無理です耐えられません

どうにかしてください」

熱・下痢・腰の痛み・全身の不快感

苦しい

 

点滴に薬を入れてもらい

和らいだ。

 

寝たのか寝てないのかわからないけど

翌10/1朝 お腹がすいていた。

 

ご飯がとっても美味しそうだった。

でも少ししか食べられない。

嘔吐した。

 

その後すぐICU(集中治療室)に運ばれたらしい。

 

主治医の先生はこの時のことをこう言っていた。

「一瞬見てあぁこれはやばいなと」

 

 

私は意識がはっきりしているつもりだったけど

朦朧としていたはず。

薬で良い気持ちになっていたのかも。

色々な処置が始まった。

 

人工呼吸器を入れるための同意書

ICUは命が危険な状態の人が入る場所

輸血

透析

鼠径部を切ってカテーテルを入れる

 

色々な説明がなんとなく耳から入る

 

「ご両親はまだ?急いでもらって!」

先生達が京都の家族に連絡し

到着をかなり待っていた。

 

「溶連菌、出た?」

溶連菌らしい。

 

 

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