危篤状態。 | 自由に楽しく美しく♡

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娘の誕生から東京ライフのあれこれ

 

 

ICU。

私の一番の問題は血圧だった。

普段から低血圧ではあるのだけど

この時私の血圧は36とかだったらしい。

 

「あと10ほど下がると危険です」

と言われていたそうだ。

 

血圧を下げないために足を高くしていた。

そんな感覚ないくらい、

私の全身はただそこに”ある”だけだった。

 

そして腎臓が機能していない。

よくわからないけど、

尿が出せないので尿管には管を、

そけい部からカテーテルを入れ

人工透析をした。

 

この透析の機械が一台では追い付かず

異例の2台使って透析していたらしい。

 

点滴をしても血管からどんどん水はあふれ

私の体重は水で12キロほど増え

パンパンだったと。

見れなくてよかった。。。

 

 

 

後日の説明によると、

腎臓だけじゃなく

頻脈と低血圧で私の内臓は多臓器不全を起こし

敗血症性ショック状態 だった。

 

 

 

血液検査の数値は

腎臓・肝臓・膵臓のきなみ異常を示す。

「”もう戦えません。降参します。” という状態の数値です」

と説明された。

 

 

 

親が来た。

手前にお母さん、奥にお父さん。

私は目をほとんど開ける気力がなく

視野はもやがかかった状態だったけど、

この、母と父の並びには気が付き

納得した。

 

「真知子、来たで」

父が言う。

「スーちゃんのことはなんも心配いらんで」

母が言う。

 

うなづく。

 

何言ってんの

なんも心配してへん

すぐ帰る

 

私はそんなつもりだった。

自分の状況がわかってない。

スーちゃんの心配なんて全くしていなかった。

私には死ぬ気がなかった。

この時私は”危篤”だったらしい。

 

その後2人の姉も来てくれた。

 

家族が全員。

 

朝寝てるときや仕事中、突然の電話で

子どもが危篤で早く来てくれと言われたら

どんな気持ちだろう。

きっと涙は出ない。

 

この2日間がやまだと言われていた。

両親は病院にいれないので一旦帰される。

今晩は、携帯を枕元に置いといてもらわないといけない

そんな状況ですと説明されたそうだ。

 

人工呼吸器を入れる処置は覚えていないけど

ここからが苦しみのスタートに。

 

 

 

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