終わったのは7月初旬。本当に私がなれるのか。不安はあった。しかし、でもやっぱり私は本気でなりたかった。なぜなら、私はどうしても日本の安全保障の担い手になりたいからだ。人生で一番頑張った5ヶ月間だった。


それから約3ヶ月。思えば、いろんなところへ行った。大学院の前期期末試験を終え、夏休みの集中講義を受けて、官房長面接のため東京へ飛び、京都へ帰って高校時代の友人をホストし、初めての屋久島で縄文杉に登り、久しぶりに長期間実家へ帰省し、京都に戻ったかと思えば台湾人の友人を訪ねて台湾旅行へ飛び、京都に帰って数日して母親の試験準備の手伝いのため再び帰省し、京都に帰ってきたかと思えばまたすぐに内定式のため東京へ。


そして今その東京から京都へと帰り、明日から始まる授業の準備をしている。


「何をしたいのか」。内定式後、ある先輩と電話で話していて、真剣に考えることになった。この3ヶ月、今までの5ヶ月を取り戻すように、よく遊んだ。「ただ遊んだ」のではなく、「むさぼるように積極的に遊んだ」のである。おかげで脳みそはすっかり衰えている。その頭に、久しぶりに重みのある考え事が舞い込んできた。


私は昔から、「大きくなったら、人の命を救う仕事をするんだ」と幼心に思っていた。それが何かはまだわからないけれど、人の理不尽な死を失くしたいと思った。特に自分の身内で人が死んだことはなかったが、しかし、そのような死の強要とは、あってはいけないと思っていた。小学校のとき、クラスの後ろに置いていた本棚で日中戦争の漫画を読み、戦争は絶対に良くない、私が失くすんだ、と思った。高校のとき、世界史で現代史を学び、そこで世界大戦の悲惨な様子を資料集の写真で見ると、なぜこんなことになったのか、絶対にこんなことは良くない、こんなことのない世界をつくることに私は貢献するんだと思った。大学のサークルで日本以外の発展途上国の様子を知ったときは、途上国で死んでしまう人たちを救うためになることを何かしたいと思った。大学院で、実際に自分の現実的な将来を考えることになり、そこでは2つがキーポイントだった。ひとつは、日本と世界のために働ける場所かどうか、ひとつは、安全保障に関われるところかどうか。


ほんとうに運がよく、その2つのキーポイントを満たす場所で、来年春から働くことができることとなった。自分でもなかなか信じられず、内々定当時はあまり実感がなかったと言えば正しいかもしれない。そして昨日、内定式を迎えた。その後、祝賀会の自己紹介の反省などについて、大学院の先輩と話すこととなった。そこで先輩は、私にこんなことを言った。


「私はあなたの魔法使いになりますから。」


それを聞きながら私は、気がついたら泣いていた。私にとって、こんなに心強いことばはなかったのだ。今までの私は、自分に完璧とまで言えるような確固たる自信は持っていなかった。実現したいことがあれば、それに向かって頑張ってきた。しかし、その目標を十二分に達成したと胸を張って言えるようなことがなかった。高校受験はなんの苦労も無く、県下トップの高校に大した勉強もせず入った。その自信のつけは大学受験に回ってくる。一度目の受験で失敗し、二度目の受験でも行きたい大学に行けなかった。そして、滑り止めで受けていた私立の大学へと行くことにはなる。偏差値はトップの大学だが、自分が行きたかった学校ではない。「人生こんなものか」と思い、19歳にして諦めるということを学んだほうが良いのではという考えを持ち始める。


それがどうだろう。どうしても受かりたかった試験に合格した。私が自分の人生の中で、自分がどうしても達成したかった目標を達成したのは、これが初めてのように思える。歯車が違って廻り始めた。幼い頃習っていたピアノも、それほど頑張らなくてもある程度できた。器械体操でも、つらいながらも毎回の練習をこなし続けるだけで平均台の上でばくてんができるようになった。英語もうまくなりたいとは思ったが、適当に頑張り、いつかはうまくなるだろうと思っていた。はっきりと、どうしてもクリアしたい目標を掲げたのは人生で初めてである。この「どうしてもクリアしたい」には「クリアできないかもしれない」という気持ちは許されなかった。「何としてもクリアしなければならない」という性質のものだった。


自分にプレッシャーをかけすぎるのは、自分には合わないのではと思っていた。しかし、そうではなかった。確かに、プレッシャーをかけすぎることでそれに負けて「自分はできない」と思い込むことは避けないといけない。が、ほんとうに大事なのは、ある程度プレッシャーをかけたうえで、そのプレッシャーを「大丈夫」と跳ね返せることだ。そうやって、どんな強いプレッシャーに対しても、「自分はこれだけやってるんだから大丈夫」と自分を信じて対抗していくことが大切だと知った。それがわかったことは私にとって、とても大きな収穫だった。試験に受かったことはもちろん収穫である。それによって、自分の進みたい道に進み、自分のやりたいことで社会に貢献することができる。しかし、それ以上に、自分で立てた難しい目標を、なんとしても達成しようと思い、がむしゃらに行動し、自分を信じて最後まで闘ったことが、私にとっての何よりの収穫だったように思う。


この大きな収穫を得ることができたのは、確かに私の力によるものだと思う。そう断言できるくらいがむしゃらにやった自信はある。しかし、私がそれほどまでに頑張ることができたのは、周りの助けが大きな支えになったからである。それは家族の支援だったり、友人の励ましだったり、そして先輩「魔法使い」の言葉である。それらがなければ、あんなにも私の力は発揮できなかったと思う。


この一連のプロセスで、私は自分にある程度の自信を持ったつもりでいた。それが、先日の先輩の言葉で不覚にも心を動かされてしまった。ということは、今の私にはまだ不安があって、それを支えてくれるという言葉が純粋にうれしかったのだということになる。不安が無い人はいないと思うし、不安があった方が、行動するときの原動力になると思うので、不安があること自体は悪いことではないと思う。なので、自信と、その自信とバランスのとれた不安の二つを、これからも持ち続けていたいと思う。


話は少しそれたが、「あなたの魔法使いになる」、そう言ってもらって純粋に心強かったのと同時に、応援してくれるんだからほんとうに良い行政官にならなければ、と思った。内々定当時はあまり湧かなかった強い実感が湧いてきたのである。自分の描く世界に少しでも近づけるように何をしたいのか自分の持つ大きなビジョンをもっと明確にしなければと強く思った。私の望む世界は、平和で安全な環境下で、多くの人たちが豊かに暮らせる世界。特に、人が作った兵器を人がきちんとコントロールできる世界。軍事力の適切な管理によって平和や安全が守られている世界。この実現に貢献することがわたしの夢である。


試験後からはや3ヶ月。流れるように過ぎていた毎日に楔を打とうと思う。明日から後期の授業が始まる。また一つ、ハードな目標を設定して、それを達成できるように頑張っていきたい。それが学問であったり、運動であったり、人間関係であったり、何であったとしても、自分に妥協せず、こつこつと努力し、あと半年を過ごしたいと思う。