最近、読書が楽しい。

学術書や、仕事に活きる啓発本や、英語の本など様々読むが、今一番楽しいのは小説である。映画も好きだが、バックミュージックこそなかれ、静かな部屋で、現実とは全く違う世界に連れて行ってくれる活字に溺れていくことのこの上ない歓び。想像するだけで涎が出そうなほど口元が緩んでくる。

最近のお気に入りは、江國香織と百田尚樹である。

江國香織は、村上春樹の男版のように感じる時があり、それは人間の暗い部分に光を当てて鮮やかな言葉でめくるめく表現するところである。そのため、読んでも暗い気持ちになることがあり、初めはあまり好きにはなれなかった。しかし、だんだんと彼女が表現しようとしていることは、人を明るい気持ちにはしなくとも、現実世界の一部分、人間のひとつの姿であることは確かであって、それを私も否定するものではないから、また、そのような人間の暗い部分にも私は親近感を持つことができるタイプの人間だったから、最近は彼女の本のページをめくることが楽しくなってきた。

百田尚樹は、何と言っても圧巻である。もう、なんと表現すればよいのかわからないくらいに好きだ。巷で彼の『永遠の0』が人気を博していた。だから私は彼の本を読まなかった。天邪鬼なのである(笑)しかし、実家に帰省した時に「お姉ちゃん、安全保障をやりたいんだったら、これ(百田尚樹の本)読まなあかんやろ。」と妹から手渡され、世の中で持て囃されている小説がいかほどの良書かと半信半疑ながらもページを繰ったのが最後、一気に読み切ってしまった。あれほどまでに潔い、美しい話を書ける小説家を私は他に知らない。

何というか、信念を持った真っ直ぐな人間の生き様を描いていて、爽やかなのである。にもかかわらず、決して軽くはない衝撃や感動が織り交ぜられていて、重い。しかし、その重さは、村上春樹や江國香織とは違う重さであり、痛いほどに真っ直ぐで、恋かと思うほどに読者に憧憬の念を抱かせる熱いものなのだ。おかげで、私のPCのパスワードは、彼の本に出てくるある登場人物の名前になっている(笑)。彼の本の登場人物に恋してしまったとでも言おうか、夫には怒られるかもしれないが(夫にも百田尚樹の良さは事あるごとに話していて、その登場人物の素晴らしさについても目に火花を散らして力説している笑)、百田尚樹の小説に出てくる登場人物の為人の素晴らしさを前にすると、唖然として、何も言葉が見つからなくなってしまう。

もうすぐ、30歳になる。あと、2週間。振り返ってみると、自分が本当に30年も生きたのか疑わしくなる。自分は20歳の時から変わっているのか。成長しているのか。10年間何をしていたのか。いろいろ考える。不安になる。

あと5年だと思う。あと5年以内に自分の想うことを達成できなければ、その後の人生はだらりと伸びたゴム紐のようになってしまう。土台が埋まっている地盤が緩ければ、その上に立つ櫓は少しの風ですぐにぐらつく。

百田尚樹の本に出てくる人物は、「覚悟」が違う。「気概」が違う。だから好きなのだ。一つ刺し違えば、その時は死ぬつもりで生きている。あと5年、私もそういうつもりで生きようと思う。自信が無いなんて思う暇があれば精進する。そんなことを考える余裕なんかなくなるぐらい鍛錬に励む。彼の本の登場人物は、恵まれない境遇のときこそ人知れず努力を重ねて、後の大事に備えた。自分に対する世間の評価がとてつもなく悪い、生きていくのも憚られるほどの時があっても、それを自ら進んで引き受けてでも、自分の大切なものを護った。周りからどう見られるかではなく、自分が自分をどう評価するか。自分がこうと信じたのであれば、人にどう言われようとそれを貫く。そういう強さを、私も身に着けたい。

16歳のとき、通っていた公立高校の倫理の先生に「あなたは『したたか』ですね。」と言われたことを思い出す。そのとき私は、恥ずかしながら「したたか」という漢字を知らず、前後の文脈から何となく褒められたような気はしたものの、その時はすぐには何も言葉を返せなかった。家に帰り辞書を引いてみると「強か」と書いてあった。強い、ということなのか。誇らしさを感じるよりもむしろ、こんな私が何故、という気持ちの方が強かった。当時、私のいたクラスの中でいじめがあった。当時クラス内のほぼ全ての女子10数人で1人を無視するという強烈なものだった。標的は私ではなかったが、くだらないと思った私は、それに加わらなかった。それにいじめられている1人が可哀相と思ったから、彼女には普通に接した。すると、今度は、私にいじめの矛先が向いてきたのである。正義感が強すぎたせいか、私には彼女たちの思考回路が理解できず、苦しんだ。見かねた親はクラスの担任に電話をした。彼は「僕のクラスにいじめなど無い」と突っぱね、私を呼び出して「うちのクラスにいじめなんて無いよな、少なくとも俺はそう思っていない。」と考えを強いた。以来、教師なんて信じられないと思うようになったが、当時、私たちに倫理を教えていた定年間近の老教師なら救ってくれるかもしれないと一縷の望みを抱いた私は、彼の職員室を尋ねた。一連の話を聞いた彼が口を開いたときに出てきたのが、「あなたは『強か」ですね」という言葉だった。

今でも私は、まったく自分が強かとは思っていない。どう頑張っても、そうは思えない。毎日のように苦しいし、強くなりたいと常に思っているからだ。でも、13年前、倫理の先生が言ってくれたように、少しは私にも強い人の素地があったのかもしれない、と今となっては思う。自分が違うと思えば、周りに流されずに自分の信念にのみ従う。そういう、百田尚樹が描く私の憧れる人物の要素が。

であれば、私にもできるかもしれない。

あと5年だ。宮部久蔵のように、戸田勘一のように、磯貝彦四朗のように、自分の信念に真っ直ぐに、強く、命懸けで生きる。

30歳を前に。心に留めておくための備忘録として。

2014年6月7日(土)