夜の住人になってしまった。こういう時は、精神的にまいってしまっている時と限っている。昔からそうだ。息をするのも苦しいぐらいの重大な悲劇があったときは、いつもこうだ。

今回のに匹敵するぐらいの一大事は、大学3年生のときの事件しかない。その時は学生だったから、苦しくて家から出ないということが許された。体重は、10kg落ちた。けど、今は、家に引きこもるということは出来ない。社会人だから。明日からまた仕事だ。現実。月曜。機械的に動く現代社会の歯車。正しいことをしていれば生き抜くことが出来る。少し外れていると、変わった人、欠陥品というラベルを貼られる。そうやって、社会的に阻害された人を、何人も見てきた。

この苦しい気持ちを、どうにかして取り去りたい。噛んでいたガムを吐き出すみたいにして、体の中から消し去ってしまえたら。そうしないと、本当に、私の心と体は、冗談じゃなく蝕まれる。

「どうしたらいいかな?」

悩むために悩んでるんじゃなく、本当にどうにか解決したいのだ。

「病院に行った方がいい。」

「病院?絶対に病院なんて行かない。何で知らない人が私の心の問題を解決できるの?無理に決まってる。うつというレッテルを貼られて、さらに悪化させられるだけよ。」

わかっている。自分を救えるのは、自分しかいないことを。誰が何て言おうと、私の問題は解決できない。私しか、いないのだ。だから困るんだけど。私は、そんなに強くない。

「理想が高いんだよ。」

夫に言われた。

さすが。よくわかってるな、と思った。彼は、何が私を蝕んでいるかはわかっていないが、私の心の動き方は、よく知っている。

理想が高いから、それに到達するにはとても何か高尚で大変なことを達成しないといけなくて、でもそれを達成することはとてつもなく難しくて労力がかかることだから、無理な負担がかかっていて、それで苦しいのだ、と。

当たってる。私は、あるべき姿と、でもそれに到達できない自分との溝を埋められなくて、分裂しているのだ。

「どうしたいの?自分がやりたいことをやればいい。」そう言われ、「2つの方向性が見える。分裂してるんだよね。」何も考えず、とっさに口をついて出た。

「このまま行くと、どうにかすると、どうにかなっちゃかも。」

「どういうこと?」

「いなくなっちゃうかも。物理的に。」

「そんな悲しいことは言わないで。インセプションのあの女の人みたいなんだよ。思い込むのをやめた方がいい。こうだと思ってることが、そうじゃないんだよ。そこに到達しなくていいんだよ。」

何でこんなにもわかるのか。さすがだな。だてに5年も一緒にいない。

確かにそうだ。私は「こうでなくちゃいけない」という理想像のようなものがまずあって、それに到達する方法まで「これしかない」という風に決めつけているような節がある。

人は、「認識」の生き物だ。私はそう信じてる。

夫は物理学者で、すべて物理法則に従って動いていると思っている。だから、自分が今こうすると決めたことであっても、それはそうじゃなく、こうすると今自分が決める前から、実はもうそう決めることが確定されていたものだと言うのだ。私は、そんなはずないじゃない、私には幾つもオプションがあって、その沢山のうちからこれを選んだのよ、結婚だってそうよ、と反論するが、彼は悲しそうな顔で、残念ながら、そうじゃないんだよね、と言う。

うまく反論はできないが、それでも私は、世界は人の認識で動いていると考えている。戦争が起きるのだってそう、恋愛に落ちるのだってそう、購買欲が働くのだってそう。人は、自分の認知したことをもとに、認知した範囲において、実際の行動を起こすのだ。逆に言えば、人の認識が変わらなければ、人の行動は変わらなくて、だから世界は変わらない。

私も、自分の認識を変えられればいいのだ。というか、もう、それしか救われる道はない。自分が「こうあるべき」と思うのをやめればいいのだ。わかってはいるけど、それが出来れば苦労はしない。

でも、そろそろ本気で変わらなければ、一年ずっと出られないでいたこの深い深い水溜りの中に、ずっと閉じ込められることになる。それはもう嫌だ。本当に苦しい。いつか、どうにかなってしまう。

理想を追うことをやめてみよう。自分の心の赴くままに、自由に生きてみよう。理想像に囚われず。自分が作った偶像に支配されず。

あぁ。もう夜明け。夜の住人は、人格を変える時間。今日も一日、仮面をかぶって頑張りますか。