こんばんは! 今日は、最近ハマっているコミック・ドラマについての話をしようと思います。まずはここ数日で、1人で一挙視聴したドラマ『コウノドリ』の話題から。

 

 

現在放送中、明日で最終回を迎える『MIU404』のキャスト様とも被っている、『コウノドリ』ですが、じつは不妊治療(TGP)中はどうしても触手が伸びませんでした。それは、自分にこのドラマを受け止めるだけの元気がなかったからかもしれません。

 
 

そして今週、お腹の中に胎嚢を無事に確認できたタイミングだったので、プレママ活の一環として観始めようと決意しました。

 

これが……すごいドラマでした! 第1期は2015年のものなのですが、5年前とは思えないほど、身につまされる話ばかり。恐れずに、もっと早く観ておけばよかったです。

 

すると、うちの主人の手に図書館から借りてきたと思われる1冊の本が。

 

 
 
 
 

『嫁ハンをいたわってやりたい ダンナのための妊娠出産読本』となおねがい うちの主人が持っていたこの本、漫画『コウノドリ』の主人公・鴻鳥サクラのモデルになった荻田先生が書いた本なのです。

 

偶然や偶然、夫婦それぞれ別の形で『コウノドリ』にお世話になっていたのでした照れ

 

夫とは不妊治療中に、たくさんケンカしました。ケンカって、些細なことって言うじゃないですか。でも、我が家の場合は些細なことではなく「簡単には解決できないことの解決策を出すときに揉める」でした。

 

ここで、参考まで私たち夫婦が不妊治療で揉めたベスト10をご紹介します。

 

【不妊治療で揉めたことベスト10】

10位:不妊治療で通院すると決めたとき
→私は妊活をし始めてすぐに通院したかったのですが、夫に反対されてしまって揉めました。結局私がゴリ押しました。

9位:養子について考えたとき
→子供ができなかったとき、夫が「養子は…」と言い出した時に揉めました。自分の子供ですら、つい先日まで欲しくないと言っていた夫に対し「無理でしょ」と一喝。

8位:どこまで治療を続けるか相談したとき
→助成金にも所得状況や回数などの上限があります。貯金額や、お互いの両親と相談して、どこまで治療を続けるかがコロコロ変化しました。

7位:精液検査を嫌がる夫にキレる
→精液検査を受けてもらわないと、女性が痛くて辛い色々な検査を受ける意味がなくなります。ですが、まあ嫌そうな顔をしますよね、夫は。「尿検査とどう違うんだ?」っていう暴言を吐いてしまいました。今では反省しています。

6位:病院に行く頻度が夫婦で違い過ぎて
→確実に仕事に影響が出る通院回数になります。とくに卵胞のチェックは、排卵日まで予定通りとは行きません。今はコロナで男性の付添いがNGの病院も多いので、必然的に女性ばかりが何度も通院する羽目になります。そこで、休んだ分収入に影響してきてしまうので、揉めました。

5位:不妊治療の熱量の差
→夫は何故か「すぐ子供はできるもの」と思っていたようです。まだ自分たちは自然にいけるんだと、検査もせず信じていました。アラフォーが何言ってるんだと思い、揉めました。不妊治療についての本を、無理やり押し付けたのを覚えています。

4位:転院するとき
→精液検査に問題があるのに「まだステップアップするには早いでしょう」と言った医師に対して不信感が募り、転院しようとしたときに。「考えすぎだよ」と呑気な夫にブチ切れました。

3位:不妊治療代について夫婦の負担の割合について
→「自分の検査の分は自分で」と、ずーっと言ってきた夫。女性の検査代ってウン万円ってかかるものですよね? 夫は精液検査以外に支出がない状況です。どう見ても比率がおかしいです。せめて半々にすべきです。それでキレました。

2位:顕微授精について考えたとき
→顕微授精について考えたとき揉めました。体外受精、顕微授精では、女性の負担が凄まじいものがあります。「なんで健康な私が腹を切らねばならんの?」と、大泣きしました。

1位:男性不妊が発覚したとき
→まず、男性不妊を理由に「離婚しましょう」とは1回も言ったことがないですし、考えたことはないです。ただ、男性不妊の対処法って、現在できることが少なすぎるんですよね。「顕微授精しか道がないですね」ってドクターに言われた夫が1番ショックだったと思います。もちろん私もショックでした。結果的に今回は顕微授精しましたが、やれることは無いのか、夫婦でかなり話合いました。

 

▲ドラマ『コウノドリ』公式Twitterより引用

 

ここまで、いろいろなことで揉めましたが、揉めることや結論を2人で出すことを諦めたことは1度もありませんでした。結婚1年まではケンカも絶えませんでしたが、今では揉めることもなくなりました。

 

私たち夫婦それぞれの両親は、「頻繁にケンカ→結果、離婚せず円満」「ケンカせず冷戦→結果、熟年離婚」という、両極端とも言える両親でした。

 

なので、「結局は気に入らないことがあったら言っといた方が後々揉めない」っていうことを学んでいます。だからこそ、積極的に揉めていたのかもしれません。揉めて、揉めて、それで解決していかないとって妥協を一切しませんでした。

 

それが良かったのかな? と、今では思っています!