滋賀県と福井県の県境にある“柳ケ瀬トンネル”の上にある“玄蕃尾城(げんばお城)”
このお城を発見された長谷川博美先生は内中尾山城ってつけたそうですが・・。
なんで玄蕃尾になったのかは、忘れた(^^;){仰ってたかどうかも覚えてないw
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の本陣が置かれた城です
その“柳ケ瀬トンネル”は車1台がやっと通れる極細トンネルで、
通行は通称“そろばん信号”による交互制で行われてます
滋賀県側から通行すると、トンネルの手前に「萬世永頼」と描かれた石碑があります。
伊藤博文が言った(描いた文字の写し?)言葉で、
意味は「この通路はいつまでも頼られる通路になるだろう」・・・・・だったと思います
お城へのアクセスはこのトンネルを出てすぐ(「←」の矢印看板があるところ)を右折して、
終点まで登っていきます(トイレと4台程度の駐車スペースあり)
こまめに敦賀市のかたが整備しているそうで、夏でも来訪可能です
スズメハチやらクマも来訪しているかもしれませんが・・・
現地案内板(加筆)
Aからアプローチします~
大手虎口
カラーリングしなくてもだいたいわかりますね~。
ホント整備してくださってる方に感謝です
ちなみに虎口を曲がらずまっすぐ行っちゃうと(B)竪土塁&空堀で立ち往生状態です。
これってもしかして“囮虎口”ってやつじゃないですかね?
Bを突き進むと・・・・
左が本丸側で、右が大手曲輪
堀で切られています。右の方が立っているところは竪土塁です。
オレンジの服の方がいるところは櫓台でしょうね~。
(正面に見えているのは案内板でいうCの片側土橋)
彼女曰く「ここすごい!半日いても飽きない」というポイント。
何がすごいのかっていうと・・・・
櫓台からの大手虎口を見る
先ほどの大手虎口まで丸見え(=敵の動きが丸分かり)なんです~。
ここからみると大手曲輪に右の高い土塁と同等な凹凸がありますね。
整備の関係であって、往時は低かったんですかね?
この城、今となってはこんなわかりやすーい城ですが、発見される前は
「あんなところに城があるわけないだろ」といわれた激藪 クマの住処だったようですし
次はCの片側土橋を渡って次の虎口曲輪に入りまーす!
(ややこしいから二ノ丸とか個別のネーミングしてほしいな・・・)
Cを外から見る
内枡形虎口でいいんかな?ただの食い違い虎口?
ともあれ左からビシバシ横矢がかかっています
このキレイな土塁の折れ
写真を見るだけでも興奮してきます
そして―――――
本丸を囲う横堀
食い違い虎口 + 囮虎口 → 内枡形虎口 → 馬出
と、陣城なのにすごい堅い防衛ですね!!
でも・・・実際にこの城で篭城戦はしてない模様・・・
それとは直接関係ないけどこの城、井戸がないんですよー(沢はあるけど川もない)
本来の城域はもっと広くて井戸曲輪ってのがあったんですかねぇ?
長谷川先生に聞こうとしたら直後トラブル発生で聞くタイミングをすっかり逃しちゃいました
馬出の合成写真でーす
位置関係がおかしいですが、全体が分かるかと(^v^)
本丸虎口から馬出を見る
今回はここまで~
次回はコチラ