吉岡秀人先生との出会い(その③) | クランのブログ

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難病(慢性血栓塞栓性肺高血圧症)を抱えながら医学部目指してます

 

ランチをするためにラーメン屋に入りました。

 

そこで、吉岡先生の過去の話が始まりました。

 

吉岡先生はもともと文系志望で浪人をしていましたが、浪人中の夏休みに「医療の届かない人に医療を届けたい」という志に駆られ、理系に転向。

 

その後、浪人の二年目に見事、大分大学医学部に合格しました。

 

浪人の二年目の冬はまだ偏差値が60にも達していませんでしたが(基本的に医学部志望ならこの時点で70は欲しいところ。それでも普通に落ちるのが医学部なんですが(笑い泣き)、二年目のセンター試験で、科目別で初の満点を二科目も取り、そのおかげで医学部に合格しました。

 

入学後、少林寺拳法部に入部し、武術に励み、その傍ら武道場で立禅を毎日していました。

 

立禅を毎日しているうちに、一種のゾーン体験を何度も経験し、武術の先に「何か」があると感じていました。

 

修行をする間に、大東流合気柔術の佐川幸義先生(保江先生の師匠)の著書を読み、「合気上げ」こそ武術のさらなる深みに達するための入り口だと感じ、合気上げの練習を部員総出で練習をしていましたが、吉岡先生自身や周りの部員の誰一人できずじまいでした。

 

そうこうしているうちに卒業が近づき、このまま「医」の道に進むか、「武」の道に進むのかを真剣に悩みましたが、「医療の届かない人に医療を届けたい」という当初の志を遂げるため、医者になりました。

 

医者になってからは岡山医療センターや他の病院で修行を積み、30歳のときに100万円を持って単身でミャンマーに乗り込み、無料で医療支援をし続けています。

 

ですが、武術の興味は尽きることなく、医者としての務めを果たしながら、武術の本はずっと読みつづけていたということでした。

 

そして、一度は諦めた「合気上げ」ですが、あれから二十数年の時を経て、再び「合気上げ」が目の前に現れて、ピンっとくるものがあり、僕をこうしてご飯に誘った・・・と、話してくださいました。

 

そのお話を聞いてから、僕が合気上げを習得するまでの過程(ここら辺からの話)を話させていただいているうちに、炭粉先生のお話になったとき、吉岡先生が、

 

「その先生は知っている。『合気解明』を書かれた先生やんね!出版した直後くらいに、その本を読み、その中で書かれている「合気」にただならぬものを感じてたんよ。・・・そうか、実在の人物やってんなぁ・・・。もしよかったら、その先生を紹介してくれへん?ぜひお会いしたい!!」

 

と、頼まれました。すぐに炭粉先生に連絡を取り、後日芦屋マリーナで会食をすることになりました・・・。(つづく)

 

 

※あと「合気上げ」と書いていますが、一般に広まっている「合気上げ」と、僕がやっている「合気上げ」はいろいろと違う点があります。一般的な「合気上げ」は相手を上げても腕までですが、僕のやる「合気上げ」は相手を立ち上がらせるまでやります。この違いは、一般的な合気上げは力学に基づき行われているので腕を上げるのが限度であるのに対し、僕が行う合気上げは力学を完全に無視した別の方法だからです(物理的には不可能なので、そこに武術のさらなる深みへの一端を僕は感じています)。