立花大敬先生の著書「天界の禅者大いに語る」の中で好きな一節があります。
今年の夏、この本を渋谷のカフェで呼んでいると、しばらくすると大粒の雨粒が窓を叩き、それを合図とするかのようにして大雨が激しく降り始めました。
そんなあまり日常的ではない状況で読んだからなのかもしれませんが、読み終えてしばらく心を落ち着けるために本を閉じ、雨空を眺めていなくてはならないほど、私にとっては胸にしみる一文でしたので、ちょっとご紹介したいと思います。
これは、内垣日親先生の御本の中にあった話です。
先生は若い頃、たしか姫金神教という大阪森の宮にある教会で、その教祖について修行しておられました。
ところが、そのおばあさん教祖は、自由に雨を降らせたり、止めたりされるのです。先生は、それが不思議でしょうがない。いったい、どんな呪文をとなえ、どんな印をむすべば、そんな事ができるのか知りたかった。それで、ある時、思い切って、教祖さんに質問したのです。
「いったい、どうやって雨を降らせたり、止めたりするんですか」
すると教祖は言われたのです。
「ああ、そんなこと、簡単やがな。それはなあ、私が空に向かってなあ、雨を降れ、というたらな、雨が降ってくる。雨よ止まれ、いうたらなあ、雨が止むんや」
それで、先生はギャフンときてしまったのです。まことにそうにちがいないと納得されたのです。
この教祖さまは、まことに一点の私心もない、術も策もない、そんなまるで子供のような無邪気なお方であったそうです。
お金に困っている信者さんが来たら、あるだけのお金をさっとあげてしまう、そんな風なお方であったそうです。
ひとつだけ、私が最も感動した話を紹介します。
この内垣先生は、もうその頃には、この教会の副管長になって、教団の一切を取りしきっておられました。
ところでが、神様から教会を出よ出よといわれる。この教団の神様が言われるのです。出てヨーガの勉強をせよと言われる。それがたび重なるので、内垣先生は、教祖にそのことを相談したのです。
「私が出たら、この教会は、たぶんつぶれてしまうでしょうがどうしましょうか」
この教祖はすぐに言われました。
「よろしい、出ていきなさい。この教会ぐらいつぶれてもかまいません。それであんたが大きくなったらいいのやから」
どうですか、こんなに私心のないお方なのです。
そんな<まこと>のお方だから、その人の言葉は<真言(まこと)>になる。そして<真事(まこと)>となり必ず実現するのです