「病気になる人は、愛と感謝が足らないからです」
先日、都内で開かれた講演会でひとりの著名な講師の方がこのような発言をしたのを聞き、私は自分の耳を疑いました。
この発言は明らかに間違いです。
愛、感謝の想いと病気とは確かに因果関係があります。
「愛と感謝が足らない場合、病気になる」ことはあるのです。
ですが、「病気になっているから、愛や感謝の念が足りない」ということにはまったくなりません。
もしそうであれば、病気になる人すべてが、愛や感謝の想いが人よりも乏しいということになってしまいます。
人は生きている限り、病気や怪我、不幸、不運に見舞われることはあります。
しかし、それらは過去世から積み上げられてしまった自らの魂の業想念(カルマ)が、自分が今、生きている「今世」の中で、次第に浄められていく表れなのです。
つらく苦しいことですが、その境遇を赦(ゆる)し、自分を赦し、受け入れていくことで、この世にやってきた最大の務めである「魂の浄め」を行っていけているのです。
聖書にイエス・キリストが盲人と出会うシーンがあります。
ある人がイエスに、「この人が盲目であるのは、いったい誰の罪なんでしょう。本人ですか、それとも家系の罪なんですか」とたずねます。
この問いに対し、イエスはこう答えるのです。
「本人の罪でもなければ、誰の罪でもありません。ただ神の栄光が、その人を通して働き出すためです」
病気や怪我、生まれながらの障害、不幸、不運はその人の魂が浄められ、その置かれた状況を見事に生きることによって、人の魂の奥に必ずある神が姿を現してくるのであるとイエスは言っているのです。
自分や身内が、病気や怪我、生まれながらの障害、不幸、不運に見舞われていると、「先祖が悪い」、「前世にひどいことをした」といったことを“解説者”のように説明し、それを解決する手があると言って、宗教組織に誘ったり、お祓い料と称する法外な金銭を要求する話もよくありますので気をつけていただきたいと思います。
つらく苦しく悲しいことがあっても投げやりに自暴自棄にならず、これは魂の浄めが行われているんだと信じ、今生きている「今世」でさらに業想念(カルマ)を積み上げないように愛と感謝を持って生きていくことが大切なのではないかと思います。