先週、イルカや鯨の声を聴きながら1時間ほど過ごすヒーリングを初めて体験しました。
だからというわけではないでしょうが(けれど、やはり関係があるのかもしれませんね)、数日前に、釧路沖で捕獲した鯨の体内から放射性物質が検出されたというニュースを聞いた瞬間、自分の中で音を立てて何かがはじけたような感覚がありました。
それは今まで体内にとどめ置いた感情が一気にあふれ出てきて、息苦しいような、泣きたいような、なんともいえない想いでした。
ここでギリシャ神話に登場する神様、アルテミスのお話をご紹介します。
アルテミスは森に暮らす狩猟の女神です。
森と完全に調和しているため、森のすべての生き物は彼女を愛しています。生き物たちは、そんな彼女に狩猟されることを名誉としていました。
しかし、ある時、アルテミスの前にヘラクレスが現れたことですべてに変化が起こり始めます。
彼女はヘラクレスに魅了されます。それに従い、次第に自分自身を忘れ、周囲を省みないようになっていくに従って、森との調和は崩れていきます。
いつしか森の生き物たちは彼女のことを怯えるようになり、拒み始めるようになっていきます。楽園だった森は徐々に地獄へと化していきました。
次第に孤立を深め、堕落していく彼女の前に、動物に姿を変えたヘルメスという神様が現れ、アルテミスが狩りをし、殺そうとしたその瞬間、ヘルメスは本来の神の姿を彼女の前の前に現します。
それを見た瞬間、アルテミスは自らのこれまでの愚かさにはっと気づきます。そして、本来の智慧を取り戻していきます。
このアルテミスの神話は、まるで現在の我々人間たちのことを物語っているかのように私には思えます。
東日本大震災、それと同時に起こった福島原発事故によって、世の中はこれを境に騒然となりました。
人々は不安を抱き、恐怖に震え、一部の人々は危険だからと言って、長年暮らした地域をそっと後にしていきました。
被災地が復旧・復興に着々と向かう中、福島の原発は先の見えない状況のまま今もなお放射能を放出し続けています。
しかし、事故の当初から今に至るまでの間、愚痴や不満、泣き言を一言も言わず、ひたすら無言のまま、日々を、今を、粛々と過ごす存在がありました。
それは、原発事故近くの人間が逃げ失せた後に、その地に捨て置かれることになった者をはじめとする、動物、植物たち人間以外の生き物たちのことです。
まだひんやりと冷たいだろう北海道沖の海洋の中で、身体に危険な物質を採り入れざるを得なかった鯨のことをニュースで聞いた瞬間、震災以降、自分の中におりのようにたまっていた生きとし生けるものへの感情が噴き出してきたのかもしれません。
万物の霊長である人間は、動物や植物たちに、安らぎや豊かさ、幸せ、そして調和を築くためにその能力を神様から与えられているはずです。そんな存在であるにもかかわらず、多大な、そして取り返しのつかない深刻な被害を生き物たちに与えた我々を神様はどのように見つめていることでしょう。
そんな愚かで未熟な人間が、私には、原発というヘラクレスを追い求め、問題が起こったらただ止めることさえできないのに、安全神話という幻想を作り上げたアルテミスと鏡移しに見えてきました。
アルテミスのように、早晩、動物や植物たちが人間のことを拒み始めることになったとしても、何も言えないと私は感じています。
このアルテミスの神話には続きがあります。
自らの堕落と過ちに気づいたアルテミスは行動に移します。
最初に取ったその行動は、大変、象徴的なものでした。
アルテミスはヘラクレスのところを訪ね、自らのことを、彼に「謝る」のです。
そして、そこで彼女は新たな気づきを得ます。彼女が抱いていた想いとは異なり、謝ったヘラクレスは彼女に対して悪い感情などまったく持っていないことを知るのです。
すべては自分の一方的な思い込みが自らを堕落の世界に陥れていたことをこの時、アルテミスははっきりと理解します。
彼女はここで改めて自分が長年暮らしてきた森を見回します。
そして、これまでの自分が森に対して、いかなることをやってきたかに、気づきます。
彼女は、森のすべての動物たちに、草花に、樹木たちに、謝ります。
やがて、彼女は森の生き物たちの愛を取り戻し、再び狩猟の女神になっていくのでした。
鯨のニュースを知った瞬間、愚かな人間のひとりとして、生き物たちすべてに、ただ、ただお詫びしたい気持ちで胸が一杯になり、いてもたってもいられなくなって、表に飛び出し、どこに向かうでもなく、ひたすら歩き回りながら、目に映る草花、樹木、大気、空に向けて、心の中で「動物たち、植物たち、鉱物たち、そして海よ、川よ、空気よ、そして地球よ、本当に、本当に、ごめんなさい」と何度も、何度も、お詫びしていました。
心を澄まし、声なき声を聞くことができたらどんなにか救われることでしょう。
今はただ、「ごめんなさい」「どうか許してください」の祈りと言葉を唱え続けること。
ここから、今を始めるしかないのかもしれないと思うのです。
ことは