●誰かに批判をされたときの考え方
自分が誰かに批判されることに対し、非常に敏感になるときって誰にでもありますよね。
しかも、批判されたくないと思えば思うほど、相手が、ただ単に意見を言ったとしても、それが「自分の考えと異なっている」。
それだけで「批判された」と解釈してしまうことも起こりがちです。
しかし、例え、明らかに批判をされたとしても、私たちが目指す方向性というのは「批判をされないように過剰に気を遣って振る舞う」のではなく、「批判をされても動じない心のあり方を、どう身につけるか」というところではないかと思うのです。
それは、批判をされても、「負けてたまるか!ポジティブに前向きに!」というニュアンスではなく。
「批判?そんなのは批判する方がバカなんだよ!」というニュアンスでもなく。
「気にならないわけじゃないけれど、特別、何とも思わない」という状態を経て、「全く気にならない状態に 無理なく 戻していく」 という作業を、どのように工夫してやっていくか否か。というところではないかと思います。
つまり、感情をむりやり抑えつけて感じないようにしたり、闇雲に怒りの方向性を他者に向けて吐き出したりするという極端なやり方ではなく、「怒りや悲しみを感じたとしても、それをどうやって自然に立て直すか」ということだと思うのです。
そういえば、こんなこともありました。
私の知り合いは時々、「○○という言葉を使う人は嫌い」とか、「流行りの△△という言葉をみんな、こぞって使いたがる風潮が嫌だ」などという記事を書くことがありました。
それで、そのNGワード(?)を使って何かを発信すると、私も、その人に何か書かれるのではないか?という恐れを持ちながら、心の中で「なんだかなぁ・・・。そんなこと、なんでいちいち、書くかなぁ・・・」と、数年、思い続けており、意図的にその言葉を使うことを避けていたほどです。
しかし、昨日、私は「この言葉、あの人がもしも見たら、嫌がるワードだな」と思いながらも敢えて、その言葉を何のためらいもなく発言した瞬間。
私は、誰かの目を気にせず、自分の言いたいことを言う自由を、自然に選択したことに気づきました。
それと同時に、「私は他者に 振り回されている と感じる心のあり方をしていた」ということにも気づいたのです。
その方に直接、指摘をされた訳でもないのに、私自身が勝手に「何かを言われるのではないか」と恐れ。
その方のことを心で「そんなこと、いちいち書かなきゃならないの?」と私が勝手に批判し。
自分で「その言葉は、使わないでおこう・・・」と勝手に決めてしまっていた。
そんなことに気づきました。
きっと、こうして少しずつ気づいて、その度に、自分が必要だと思ったときに修正をかけていくことで、「自分が大切にしたいこと」が浮き彫りになり。
そして、「私らしさ」や「自分がありたい姿」が確立していく。
となると、私を苛立たせていると感じる人。私の批判をしていると感じる人。批判に怯えてビクビクするような相手などというのは。
自分がありたい姿に近づいていくために存在している人なのではないかな。とも思います。
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