沖縄のプチ投資家のブログ -2ページ目

YOUTUBE読書

 

最近、私は本をkindleで全てまかなっている。

理由は2つ

1.場所を取らないし、すぐに思考が転移するので、それに紙媒体では間に合わない。

2.シェアという考え(思想?) 

 最近の子は 映画などを録画やコレクションしない。

 これは、全てがネット上にあり、必要な時に呼び出すだけなので、コレクションの意味が理解できないそうだ。

 これにより、僕もすべての読書をkindleの読み放題でまかなっている。

 

あと、もう一つは、読書ではないのだが、(本題)

知識を吸収するのに YOUTUBEを使うようになった。

講演やまとめ動画、書評動画、非常に効率的に インスパイアされる。

 

今からの時代、大学などは実験施設を除けば 必要なくなると思う。

 

・・・

そして、大事なのは、INPUTの後の、現実社会へのOUTPUT。

 

今日は誕生日。

いい朝を迎えられました。

 

いまでは、お金も底をつき、貧しい生活を送っていますが、

また、昔に戻ったと思えば、いいことで。

 

人生は収束していくものだと思っている。

 

カーペンターズを聞きながら、お風呂にゆっくり入り、

少し OUTPUTをして、

人を助け、

それにより、少し成長させて頂く、

生き物として人として の間で整合性(矛盾なく)が取れるといいなと思います

 

備忘録1:

昨日、ある人からメールが、哲学を持って生きている人の言葉は(定義・概念)

真意を理解するのが難しいと思いました(小山さん件)

 

死後の人間関係。

先日、法事の時に、人間関係の整理について、身内と話した。

 

その人は(女性だが)、毎年、故人(旦那)の知り合いだという豆腐屋から命日に電話がかかってくるという。

故人の好きだった豆腐をお供えしたいとの電話だ。

毎年 受けてはいるが、本人としては迷惑だし、気色悪いらしい。

・・・

いろいろお話して考えた結果。

人生で人間関係の棚卸的なものは必要なのかも・・・

故人がいたから付き合っていたとはいえ、

故人がいなくなった現在は当事者には付き合う価値のない人間であるのだから・・・

 

 

 

文化的な死

 

死においてなぜ人は、逡巡するのか??

そして何故、老人は死をゆったりと受け入れられるのか??

今の時点での回:

文化的な一つ一つの死が最後に残ったタンパク質の塊である肉体に引導を渡す憂いを無くす。

 

文化的な死の種類:

・物

・行動

・人

 

これらが必要最低限になった時、どういった心境になるのか??

死を無理なく受け入れる心境になるのか??

もしかして、新たに生き物としての行動が始まるのか??

 

 

実例:実際にはなにをするのか??

会社の定年のように、文化的な死を各それぞれに設定していく。

 

物:お寿司はあと2年で終わり とか

行動:ゴルフはあと2年でやめる とか

人: 親しい間柄の人間(特定の人)、来年いっぱいで、二度と会わない とか

  孫の運動会は今年いっぱい とか

 

そう決めることで、いろんなもの(今)を大切に出来るのではないだろうか??

 

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これはある仮説から発生した。

がん患者のようにけつが決まっている人のほうが、安心感のある死を迎える事が出来る。

(迎えられないのは、やり残した事、憂いがあるからである)

それはなぜか??

すべての物事には終わりがあるという事を悟れるから。

 

がん患者は期間が短いが、これを10年くらいかけて、ほとんどの文化的な死を行い、

タンパク質の塊になった己がどういう心境になるか、知りたい。

 

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実際にばあちゃんを見てきて、そう思った。

年寄りは子供と逆。

子供は毎日できる事が増えていくが、年寄りは毎日いろんな事が出来なくなりあきらめる。

それを長期間にて味わうことにより、死への準備ができるのではないだろうか??

 

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これをさっそく今年から実行してみたいと思う。

考えただけで、昨日から38度以上の熱が出てきたw

おれは、ホントに怖いんだろうなww

 

昨日は誕生日

下書き:

たくさん、うれしかった。

億万長者は忙しすぎる人とは、友達にはならないそうだ。

 

急の誘いにも、答えてくれた人、

予定をキャンセルしてオレの誕生日に付き合ってくれた人。

ほんとにありがとう。

 

バッファを持っている人を大事にします。