宇野重規『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』(中公新書) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 保守主義の良質な部分が開陳されている。新自由主義やリバタリアニズム,ナショナリズム,伝統回帰に復古主義など,様々なイズムが保守主義として語られる中で,保守本流というか真の保守主義とは何かを知りたい人にはお勧めしたい一冊。と同時に,ここ日本で保守主義者を自称するエセ保守主義者さんたち(あえて名前は挙げませんが)にも是非読んでいただきたいなと思った。いかに自分が本来の保守主義の精神とはかけ離れているかが分かるだろうから。

 筆者は通説に従って保守主義の出発点にエドマンド・バークに置き,そして,それにとどまらず保守主義が常に還るべき思想拠点としてバークを見ている。筆者のバーク評価で私の目を引いたのは,アダム・スミスやデイヴィッド・ヒュームなどスコットランドの思想家からの影響を重視している点である。私も暫くスコットランド啓蒙思想を勉強していたので,バークとスコットランドとの関連は重要だと知っていたが,一般にはあまり重視されていない点なので貴重な指摘だと思った。

 彼の知の背景にあったのは,まさに同時代のフランスやスコットランドなどの啓蒙思想であり,文人や哲学者たちのネットワークがバークの政界での活動を支えたのである。(本書p.32~p.33)

 スコットランドなどの啓蒙思想が理性に光を当て,後のリベラリズムやデモクラシー,社会主義につながっていったことを思えば,バークと啓蒙思想とのつながりは意外に思われるかもしれないが,バークは啓蒙思想を全否定したのではなかった。この点は重要で,今の多くの保守主義者が見落としている点である。バークはあくまで理性を信じていたのであり,ただその使い方について啓蒙思想と厳しく対立した。つまりバークは抽象的な理性の使用を批判したのであって,理性そのものを否定したわけではないのである。そしてバークは,人間の理性だけでなく感情・情念にも注目し,人間の認識能力の限界を指摘した。そういうバークの多層的な思想の成り立ちを見ておかないと,保守主義の本来の思想精神を見間違う。バークと啓蒙思想との関連を指摘した点は,本書のすぐれたところである。

 さて,本書は,まず
第1章で《フランス革命と闘う保守主義》として,バークが,
第2章で《社会主義と闘う保守主義》として,T・S・エリオットやハイエクやオークショットらの英国の保守主義が,
第3章で《大きな政府と闘う保守主義》として,フリードマンやノージックらのアメリカの保守主義が,
第4章で《日本の保守主義》として丸山真男や福田恆存,伊藤博文,陸奥宗光らが
取り上げられ,そして
終章で《21世紀の保守主義》を展望する
という構成になっている。

 英国のオークショットや米国のノージックなどについてはほとんど知らなかったので,保守主義の新たな側面もいくつか発見できて有益だった(例えば,米国のキリスト教福音派の保守主義や反知性主義からは,トランプ大統領当選の背景も垣間見えた)。また,丸山真男を保守主義の周辺で理解していたのも同意見で,納得できるものだった。

 ただ,私の個人的で些細な不満を一つ言わせてもらえば,保守主義の本来の精神を歴史的にたどり評価するのが本書の課題であるなら,できればT・R・マルサスを取り上げてほしかったということである。筆者は,近代とは「進歩主義と保守主義との対抗関係を軸に展開した時代」(本書p.ⅴ)と書いているが,であるなら,《自由貿易と闘った保守主義》としてマルサスの保守主義思想はピッタリではないかと思ったのである。しかもマルサスの救貧法批判は保守主義のすこぶる良質な部分を表している。

 とはいえ,そんな個人的な不満は大したことではない。評価すべきは,本書が保守主義の本丸部分を歴史的・思想的に掘り起こして,私たちに分かりやすい見取り図として提供してくれたことである。そして,その見取り図の中心に常に位置するのが,バークなのである。日本の保守主義を考えるにあたっても,やはりバークが基準になる。では,バークの教えに適った本来の保守主義とは,どういうものか。それをここではっきり示しておくこと必要だろう。

 もしバークに従うのであれば,多様な制度,慣習,法によって形成されてきた憲法秩序は一朝一夕に成立したものではない以上,イデオロギー的にその全面的な転換を試みることには,あくまで慎重でなければならない。もし,それを変更するとしても,現行秩序に内在する自由の論理を発展させ,漸進的な改革をはかることが優先的な課題となるべきである。(本書p.189~p.190)

 個人や自由を大切にしている点は,革新・リベラルと変わらない。ポイントは,今ある政治秩序に何らかの正統性を認めている点である。だから急進的な改革は避けなければならない。ただし,すべての改革を否定するわけではない。現行秩序の中にある自由の論理を漸進的に発展させて,民主主義なり市民社会なりを実現していこうとするのである。これが保守本流の考え方である。明治以来の日本の保守主義の伝統も,そういうものであった。すなわち,明治憲法体制に内包されていた自由や権利を漸次的に発展させることによって,立憲政治や政党政治を準備したのである。保守主義とは,改革を望まない思想態度では決してなく,ただ急進的な改革を拒んだだけなのであり,漸進的な改革を目指したのである。そういう改革者的な側面を本来の保守主義の属性として強調している点も,本書の長所。

 さて,保守本流がそういうものであるとすれば,21世紀日本の保守主義はどうあるべきか。その点に関して,筆者は興味深いことを述べている。

 戦後憲法の定着のなかに,このような漸進的発展の延長を見ることこそが,そのような「本流」を継承することになるのではなかろうか。(本書p.191)

 筆者は,戦後70年以上憲法が変えられず,その憲法の下で平和と安定を実現してきたことを貴重な「戦後経験」として積極的に評価する。その筆者の虚心さは称賛に値する。すなわち,保守主義の本流を現代まで延ばしてくれば,護憲や九条堅持につながるのだ。保守すべき価値としての日本国憲法!現代日本の保守主義とは,《憲法保守》ともなりうるわけである。

 「戦後経験」から何を学び,何を継承するかで,保守主義の行く末も変わってくるだろう。いわゆる「戦後レジームからの脱却」(安倍首相)という方向でいいのかという問いに,保守派は今すぐ真剣に向き合う必要がある。「押しつけ憲法」として現行憲法秩序の正統性を否認するのが本来の保守主義だと勘違いしているエセ保守主義者も多い。さもなくば,現行の憲法体制に価値的なコミットメントをすることを避け,保守すべき理念を持たないまま取り敢えず今の状況に乗っかっていこうという「状況主義的な保守」か。日本の保守主義者はそのどちらかしかいないという筆者の現状理解は正しいだろう。

 現行の政治体制の正統性を信じ,その中で漸進的な改革を試みるというのが本来の保守主義のあり方であるのなら,保守派にとって「戦後経験」の思想的反省は避けては通れないはずである。筆者が言う通り,
歴史のなかに連続性を見出し,保守すべき価値を見出す保守主義の英知」(本書p.191)
が今こそ試されている。

 筆者は,明治以来の日本政治の中に,バークの自由の精神を受け継いだ保守主義の本流を探り当て,それを本書で示そうとしたが,それによって同時に,異端というか偽物の保守主義の実態も明らかにしている。例えば,国の枠組を支える立憲主義や基本的人権や法の支配が,保守主義を名乗る勢力によって破壊されつつある実態!その意味では,今の自民党には保守政治家は皆無である。

 それにしても,筆者の言う「知はつねに有限であり,すべてを見通すことはできないとする保守主義の謙虚さ」(本書p.206)から学ぶことは多い。革新リベラルの失速・敗北の原因は,人間の知や理性や進歩に対する過信・驕りにあったのだから。

 自分たちは誤っているかもしれない。だからこそ,過去から継承してきたものを大事にしつつ,それを必要に合わせて修正していくことが大事である。自己抑制と同時に変革への意欲を備える保守主義のダイナミズムは,羅針盤なき時代において,社会を考えていく上でのひとつの英知であり続けるだろう。
 その上でさらに現代において保守主義の可能性があるとすれば,それが個人の主体的なエネルギーと結びつくときではなかろうか。

 (本書p.206)

 ここに保守主義の真髄がやさしく語られている。最後には《個人の主体性》にまで言及していて,ここまでくるとリベラルとの差は一体どこにあるのかとも思ってしまう。過去の保守主義が「自己抑制」に比重をかけすぎていたのに対して,リベラルは「変革への意欲」に傾きすぎていたということであろうか。漸進的な改革か根本的な変革かの違いだけにも映る。ともあれ,こうした良質の保守とリベラルが対抗して活発な論争をしていくならば,明るい未来が開けてくるような気もする。

 ちょっと意外だったのは,筆者が「あとがき」で自分は保守主義者ではないと言明していたことである。「保守主義優位の時代」に保守主義を客観的・批判的に検討したいというのが本書執筆の理由だそうだが,本書を読む限り,筆者の思考はすぐれて保守主義的であり,保守主義に対する少なくないシンパシーや期待があるのがわかる。そういう保守主義への関心愛着がどこから来たのか,個人的な時代経験や教育体験なども書いてくれたら,もっと魅力的な本になった。

 以上,本書に沿って,保守主義について「良いものは良い」として好意的に評価してきたわけだが,その上で私はやはり保守主義には与し得ないということを言っておきたいのである。その理由は,これまで何度も書いてきたし,ここでは長くなるので書けないが,一言だけ簡単に言っておけば,保守主義では階級秩序(身分制!)が固定化され再生産されてしまうということである。すなわち天皇制と被差別部落を両極のタブー(正統と異端)とするシステムは,保守主義では変革し得ない。平等で公正な市民社会を望む人間として,その点は妥協できないのである。

 ちょっと長くなってしまったが,何だか書きたいことの半分も書けなかったような気もする。保守主義に対する批判は,またの機会に書こうと思う。何はともあれ,本書のタイトル通り「保守主義とは何か」を知りたい人には是非お薦めしたい一冊です。

保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)/宇野 重規

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