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私は、広島で生まれ育った。
なので、小学校で平和教育があるのは
普通のことだった。
全国の小学校がそうだと思ってた。
春の遠足は、平和公園
夏休みの宿題も
読書感想文の課題図書は戦争のこと
図工の宿題も、テーマは原爆ドーム
おうちの人に戦争体験を聞くっていうのもあった。
8月6日は登校日で
戦争についての学習の時間だった。
だから、戦争に関して学ぶ機会や
平和公園に行く機会はとても多かった。
この像は1977年8月2日に作られたもの。
私は小学6年生だった。
出来たての平和祈念像(写真が古いけど)
この時代は、今のように
スマホで写真を撮れる時代じゃない。
だから、本当に撮りたいって思ったものや
記念の時にしか、写真を撮ることはなかった。
なのに、この写真が数枚残ってる。
よほど印象的だったんだろう。
この像の解説
若い母親に抱かれた子どもが
平和のラッパを吹いています。
製作者の円鍔氏は除幕に際して
「親から子どもへ、昨日よりも明日へ。
三日月もやがて満月になる。
新しい未来を求めて
平和のラッパを鳴らしたい。」
と意図を語りました。
幼少期に惹かれた月は
小学生になってからも
私にとって特別なものだったんだと思う。
この年の夏の平和公園の写真だけが
なぜかたくさん残ってる。
たまたま、カメラを
持って行っただけなのか
特別なことがあった年だったか
わからないけど。
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