平成最後の初詣@熱田神宮 | えりっき脳内議事録(えり丸)

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Diary and memo written by a pathologist.

1/13(日)、友達と一緒に熱田神宮に初詣に行ってまいりました。三が日ではないので酷い人混みではなかったものの、境内とおみくじ前は行列ができていました。また、参道には屋台がたくさんでていました。

 

参道の解説板によりますと、熱田神宮の主神は熱田大神(あつたのおおかみ)であるとのことです。熱田大神とは、三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよせられる天照大神(あまてらすおおみかみ)のことだそうです。

 

相殿(あいどの)には、草薙剣にゆかりの深い五神、すなわち、天照大神須佐之男命(すさのおのみこと)、倭建命(やまとたけるのみこと)、美夜受比売(みやずひめ)、建稲種命(たけいなだねのみこと)を祭っているとのことです。

 

高天原(たかまのはら、天界に相当)を治める天照大神には、弟が二人おり、それぞれ、夜の世界を治める月読命(つくよみのみこと)と、海を治める須佐之男命といいます。須佐之男命は亡くなった母の伊邪那美神(いざなみのかみ)に会いたいと泣いてばかりで海の国を治めなかったため、高天原を追放され、葦原中国(あしはらのなかつくに、地上世界に相当)に降りてきました。そして、出雲国(いずものくに)で八俣遠呂知(やまたのおろち)を倒し、蛇の尾から草薙剣を発見し、これを天照大神に献上しました。その後、須佐之男命はいけにえにささげられるはずであった櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚し、出雲に定住したとのことです。以上が、古事記上巻で語られる神話です。

 

それから時代は下り、古事記中巻の第十二代景行天皇の時代のお話に移ります。神話の記述をそのまま西暦に換算すると、紀元後71年~125年の出来事だそうです。考古学的には、古墳時代の出来事と考えられるようです。天皇には小碓命(おうすのみこと)という皇子がいました。この方が後の倭建命です。天皇は小碓命の荒い性格を恐れ、大和から追放する口実として西方への遠征を命じました。熊曾建(くまそたける、熊曾の強い者の意味)を討った時、その強さを倭建命(大和の強い者の意味)と称え、それ以降、名を改めたとのことです。西征が完了してただちに東征を命じられた倭建命は、父天皇に嫌われていることを悲しみ、叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)のいる伊勢に参ります。倭比売命は伊勢神宮を創建された皇女で、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣を託されていました。倭比売命は倭建命を不憫に思い、草薙剣と火打石を渡したとされています。

 

倭建命は、焼遺(やきづ、静岡県焼津市)にて敵の欺きにより窮地の立たされます。野に火がはなたれるのですが、草薙剣で草を刈り、火打石で火を起こして、向火をつけて焼き退け、そこを脱したとあります。非常に有名な話ですね。その帰路、尾張国(おわりのくに、愛知県西部)で美夜受比売と結婚します。倭建命は、伊吹山(滋賀県と岐阜県の県境)に赴くとき、今回は素手で真っ向から倒そうと思い、草薙剣を美夜受比売のもとに置いて出立します。霊剣の力によって守られていなかったため、倭建命は伊吹山の神に打倒されてしまいます。

 

その後、美夜受比売は草薙剣を鎮守するため熱田神宮を創建したとあります。なお、建稲種命は美夜受比売の兄で、倭建命の副将として付き従っていたとのことです。

 

そいういうわけで、三種の神器のうち、剣は熱田にあるというわけです。もちろん、鏡は伊勢神宮に、勾玉は皇居(東京)にあるんですね。今年の五月には皇位継承がありますから、天皇の証である、鏡の形代(かたしろ、レプリカのこと)、剣の形代、勾玉本体が継承されるわけですね。ところで、剣は壇ノ浦で沈んだものだと思っていたのですが、上記のごとく、皇位継承の際に受け継がれる剣と鏡はレプリカですので、本物は熱田に残っているんですね。私の勘違いだったようです。

 

私は神道を信仰しているというわけでは決してありませんが、神話や神宮の起源について知ることは、大昔の歴史を垣間見るいい資料として楽しめると思うのです。いかがでしたでしょうか、最後まで読んでくださった方は、少なからず興味を抱かれたことと思います。

 

なお、神話内容や漢字は、竹田恒泰による現代語古事記を参考にしました。