2021年 あけましておめでとうございます @尾張部神社 | えりっき脳内議事録(えり丸)

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2021年、あけましておめでとうございます。去年はついぞ1つの記事も書かずに終わってしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

今年は、伊勢に住んで18年、名古屋に住んで18年という記念の年ですので、名古屋市守山区にあります尾張部(おわりべ)神社さんに、初詣に伺いました。この神社は名古屋や尾張に縁の深い神社のようです。標高198mの東谷山(とうごくさん)の山頂にあります。というわけで、レッツ・ハイキング!今日はとても寒く、雪が舞っていました。

 

遊歩道をしばし歩くと、東谷山27号墳の横穴式石室に出くわしました。もとは墳丘で覆われていたそうです。

 

 

さらに登っていくと、南社古墳。30mの円墳で、4世紀中頃のもののようです。一部に円筒埴輪が復元されています。墳頂には祠がありました。祭神は伊邪那岐命と伊邪那美命とのことですが、常識的に考えると尾張氏の誰かが埋葬されているのでしょう。

 

 

祠の周囲には比較的大きさの揃った石が散乱しています。本物の葺石でしょうか?解説板によると、古墳は2段に築かれ、1段目斜面に東谷山でとられた角礫、2段目斜面に東谷山山麓の段丘でとられた円礫の葺石が積み上げられている、とあります。

 

 

さらに登っていきます。息も絶え絶え、顔は寒いけど、汗をかき、雪も強まってきて大変です。休憩を交えつつ、、中社古墳に到着しました。63.5mの前方後円墳で、4世紀中頃のもののようです。写真は前方部より後円部をみた様子。前方部は祭祀の場所、後円部は埋葬の場所ですね。祭神は菊里媛命とのことですが、たぶん違うのでしょう。

 

 

そして山頂へ!尾張部神社に到着です。拝殿には立派な門松が飾られています。みかんもいただきました。

 

 

実は、本殿は尾張部神社古墳の上に建てられています。27.5mの円墳で、4世紀前半頃のもの。2段つくりで、上部は角礫の上に石英が撒かれ、白く光り輝いていたと考えられているようです。

 

 

ご祭神は天火明命、天香山命、建稲種命で、いずれも尾張氏の祖および首長です。以下は私の調査の結果ですが、諸説あり、正しくない部分もあるかもしれません。そこは、神話の話として見逃してください。

 

天火明命(あめのほあかりのみこと)は、邇邇芸命の兄で、丹波に天孫降臨しました。全国の神社および祭神の分布をみると、中国山地を超えて姫路や大和、伊吹山を越えて尾張、日本海を渡り越後に勢力を伸ばしたのではないかと思われます。饒速日命と同一神ともいわれ、そうすると、神武東征の際に対立した可能性が高いですね。

 

天香山命(あめのかぐやまのみこと)は、高尾張邑(奈良県葛城市)に本拠地を置いたものの、神武天皇が抵抗勢力として討伐したようで、尾張の国に逃げ延びたようです。最初は愛知県春日井市の高座山に降り立ち、白鹿に乗って庄内川を渡り東谷山(名古屋市守山区)に移ったとの地元の伝承があるようです。この日は天気が悪く、目視での確認はできませんでしたが、たしかに、地図をみるると、高座山(たかくらやま)や東谷山からは濃尾平野や伊吹山がよく見渡せ、近畿のヤマト王権の勢力を監視するには都合がよい場所なのだと思います。また、別名は高倉下命(たかくらじのみこと)といい、高座山との関連から同一としてもよさそうです。

 

建稲種命(たけいなだねのみこと)は日本武尊の東征の際に副将軍として軍功をあげ、尾張国造になりました。

 

近隣には志段味(しだみ)古墳群もあり、ここは尾張氏の本貫地であったことは確かなようです。

 

古墳に眠るあなたは、いったい誰なのですか?

大変面白い神社です。