【ΙΑΩ=八尾】(カミ代文字)の初出は紀元前3年の時 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

『ホツマツタヱ』(第29章/ヤマト討ちのアヤ)
 
 
★「前文・略す」下記のホツマ文字(幾何学的形状文字)記述の文面は、『現存・日本書記』(漢字文書/国史大系1)に記す処の…「戊午(天鈴暦55年=ヲシヱ年)・皇軍(磐余彦軍)が胆駒での戦で苦戦して退却した」。とする部分に当る。

 


 

 ヰツセ皇子  肘オ射ラレテ

 

 進ミエズ    皇子 触レル

 

 謀事      吾ハ日ノ孫

 

 日ニ向カフ   天ニ逆エバ

 

 退キテ     カミ(上)オ祭リテ

 

 日ノママニ   襲ハバ仇(敵)モ

 

 破レント    皆 然リ トテ

 

IAΩエ 退ク  仇(敵)モ迫ラズ

 

 御船行ク    チヌ(和歌山県)ノ山キデ

 

 ヰツセ罷ル  紀ノ竃山ニ …(後文・略す)。

 

此処で何が問題なのかと言えば、 「IAΩエ 退ク」(八尾へ退く)の文言が『日本書紀』では、「抹殺されている事」である。

 

…何故、此処、「ヤオ(ΙΑΩ)エヒク」(八尾エ退く)の文言部分が重要かと言えば、【逸書・ミカサフミ】(三笠文)、然り、此の『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書の作成は、歴史書として最も重要な事、つまり、歴史書とすれば、その歴年の始点、又、皇歴年(在位年)の起点年の設定が先ず第一である。従って、【カミ】(ΙΑΩ)が創建した【ヒノモト・クニ】(日ノ本・国)の始まりとして定義し、尚、その【ヒノモト・クニ】の創建年を世界暦(ト-ラ=モ-セ5書の創世記に始まる歴年史)に対し、どのように合致させるかが問題となる。従って、カミ名文字(現在に言う秀真文字)を用いた文書によって構築するに当たり、暫定的に設置した【アスズコヨミ】(天鈴暦)の「55年」(オシヱ/戊午)を、【ヤオ】(507/祭祀所の地名)の初出年(カミの顕現年基点数値29)として最も重要な文言として明記した。つまり、此の【ヤオ】に関する文言内容が意味する処は、【日本国家・創建史】(千年・枠物語)の謎を解き明かす鍵(キ-ポイント)であった。

 

…我が【日ノ本・クニ】に於ける元初の【ヤマトコトバ】とは、秘儀数値(ゲマトア)を組み込んだ文字言葉として設定した言語だった。その数値言語を用い…《【チタルタマ】(千垂魂/満999) の【カミ】(-22)とする、【ヤオ】(-507)が創建した【クニ】(-50=420)》…と定義した。従って…《ヰヤ(58)・マ(÷2=29/カミΙΑΩの顕現始点数値)・【ト】(×10=580)・通る(420+580=1000/千木の語元)【ヰヤマト(58×10=580)・クニ(50)】》…と定義し、【国名・ヤマト】として命名した。ちなみに、【クニ】(50)の成り立ちは、「五十鈴木年」(50×6万=300万年)として設定したコヨミ(木読=カレンダ-)を用いた【日ノ本・カミ代物語】を以て成立したとする。つまり、倭語に言う【クニ】の語元(語源の意ではありません)は、秘儀数値【40+10=50】が語元であった。

 

…当時(紀元前後頃~1世紀中頃)としては、地中海沿岸文化圏国等と交易していた後漢との接触を以て、世界史との接点(AD57年/金印=漢・委奴・国王/3行文字/建武中元二年)を試みていた。ちなみに、その第1歩としては、既に、紀元前2年の時(後漢の哀帝・元寿元年=BC2年) 、ペルシア(アケメネス系)の遊牧民族とされる大月氏国の使者(伊存景慮/イソンケイリョ)が…「仏教を口伝す」(中国学芸年表)…と在る部分に関連する。つまり、此の時の大月氏国の使者に付随し、【Qumran Sect】(クムラン・秘儀教義宗団)トップグル-プ(バビロンを居住地とする)の人達は、前漢の王氏【莽】(王莾)に会っていたからである(筆者説)。

 

…後年に言う【讖緯説】革命勘文/三善清行/唱泰4年辛酉=延喜に改元・AD901年)は、元を正せば…「BC2年に大月氏国の使者が前漢の哀帝の処に会いに行った事」(BC1年に哀帝の不自然死/暗殺?)…に起因する。早い話が、「BC221年・秦(China)」~「BC2年・前漢」~「AD9年・王莽」~「AD25年・後漢」~「戦後の中国」(AD1949年=昭和24年~現在に至る)迄の歴年史にあっては、全く、【干支年】が存在しない事を肝に銘じて知る必要がある。

 

…漢字表記言う【干支年】表記の起元(起源の意ではありません)は、我が日本国の歴年方式である。その始まりは【ホツマツタヱ】(秀真伝)と、【ミカサフミ】(三笠文)文書を、歴史書として構成するアスズコヨミ(天鈴暦)、即ち…《【ヱ・ト】(兄・弟)コヨミ》…が起元である。従って、此の「カミ代・文字」(秀真文字)を、漢字に変換した事により、ヤット、始めて、干支年と呼ぶ事が出来る。ちなみに、【広(廣)開土王碑】の碑文(AD414年に設置)に刻まれた干支年の用い方は、倭国の歴年史と、照合させる為だったのである。

 

… 話を元に戻せば、その【IAΩ】(ヤオ/現在は大阪府八尾市の名称に成っている)の語元語源の意ではありませんは、【カミ】(God=ὁ θεὸς/ホ・テオス)の御名(レビ族が用いた名称)である。そして、此の【IAΩ】(God=カミ=上)を祀っていた地域が【タコチ】(竹渕/大阪府八尾市竹渕の町名)である。此の事は、【竹淵神社・由緒書】(竹淵郷神社縁起)に明記されている。つまり、『秀真伝』(ホツマツタヱ)文書は、意図的に此の【IAΩ】の地名を【長髄彦討伐・開始年】(天鈴51年)から「3年目/天鈴暦55年・ヲシヱ=戊午」(BC3年に当る)に当てて設定した。その意図する処は、【ΙΑΩ/ヤオ】の名称の明文化にあっては、「古代ユタヤ民族の捕囚解放年数値(B,C,536年)と合致させる事にあった。従って、「B,C,3年」は、捕囚解放から「536年目」に当っている。つまり、此の肝心な単語(ヤオ=ΙΑΩ/ヤオ)が『現存・日本書記』(国史大系1)によって抹殺された事によって、我が【日ノ本・建国創建史】部分が、歴史的闇の中に投げ込まれたと言っても過言でない。

 

…【IAΩ】(ヤオ/八尾)に対し、倭語に言う「ヤオ」の文字を当て、此の地名の初出年(秘儀数値・536/過去の歴年史関連付けの為とした。そして、【カミ(上)の顕現】年から【カミの数値】を用いて【タケヒト】(後に言う神武天皇)の即位年(AD1年目に当たる)と定義し、設定(幻の西暦1年目に当る)した。従って、古代ユダヤ民族の「捕囚・解放年」は「BC3年から数えてBC536年溯って合致させていたのである。

 

…イスラエルの唯一神Y H V H =AΩの数値を起点年として、「カミ(God)の存在(天使=空這う子)を意図する数値」(アドナイの御名シャム・340+サコクシロ・660=1000/千/Χ=千木の語元)を用い、【タコチ】秘儀数値・1000)と命名した。そして、此の数値点(BC3年/八尾の地名の初出年に当る)から【660年】(サコクシロの語元数値)の数値点(在位通歴657年/垂仁天皇26年に当る)を以て、【伊勢神宮・建立年】(内宮に天照大神を祀る)、及び、【豊受カミ・祭祀年】(外宮に祀る)として定義した。つまり、予め設定した【千年・枠物語】が意味する処は、「タケヒト」(初代・神武天皇)~「ヲシロワケ」(第12代・景行天皇)迄の在位通歴年(790年)も既に設定済みだったと言う事になる。従って、その歴年枠内の分割方法も、既に決められていたのであった。ちなみに、その中間に当る【第9代・ワカヤマトネコヒコ】(開化天皇)の即位年は【完全数】が用いられている。又 、【第6代・アメタラシヒコクニ】(孝安天皇)の崩御年は、。及び、天使の数値言語に言う【アメ・ナカヌシ】(天・中主)を意味表す秘儀数値(370)を用いて分割した。何故かと言えば、それは…【日本人の正典/Bible】(ホツマツタヱ&ミカサフミ文書)としての文書を作成する為であった…そして完成させたのが、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(三笠文)文書である…此の文面を最初に漢字に変換し、漢字文書として取り込んだのが、『先代匶事本紀・大成經』(72巻本/聖徳太子時代とされる)である。

 

下記に【追記】(平成29年=2017/08/03・木曜)…【天・御()中主】(カミ)の語元…

 

《アメヨロ(1万)道-創世記5100=4900エノク10週年》…此の【天使・エノク】(空這う子) に対し、【アメ・ナカヌシ】(天・ナカヌシ)と命名した。そして、【日ノ本・カミ代物語】の中に於いては、言語を司るカミ(上)として取り込んだ。その、倭語に言う【ミナカヌシ】(御中主)の語元は、倭語の数値言語に言う【ア・ウ・ワ】(370/太占の中心に設置した)であった。つまり、此のカミに対する秘儀数値【370】の出処は…倭語【ア・ウ・ワ】の3文字(3中主)に対するゲマトリア数値【370】であるる。尚、『ブェ-ルを脱いだカバラ』(マグレガ-・マザ-ズ著)によると、「マクロプロソプスの頭髪」22全文字数+10ヨッドIVD+5ALHHMの文字数=37×10セフィロトの数=370の髪先から【370】の光が放たれる。と記す。此の隠された唯一神( 13)の身近に居る天使が【エノク】(370の威光を有す)である。そして、此の天使【エノク】に対し、我が国に於いては、【アメ・ミナカヌシ】と命名した。

 

…倭語カミ】(13&58の語元(語源の意ではありません)は、ユダヤ民族に言う【正典】(聖書)を意味する言語【Bible】(バイブル/ビブロス…フェニキア人の葦の取引港)と、古代ギシア語【Kanōn】(カノン/葦/規則等の意)の頭文字を、倭文字(秀真文字)に当てたのが語元である。又、Paper(紙)の倭語カミ=紙Paper/ΠΠ・ピピ)の初出と、語元は、『秀真伝』文書である。その【カミ】(上)の語元は…「聖なるカミ(上=ΙΑΩ)に奉納する品物を包む為、考え出された和紙(水引を添えた)に対し、更に、敢えて【カミ】と命名したのであった。尚、此の文字言語【カミ】に付随する秘儀数値【13】( θεὸς/テオスの持ち物)は、シュメル語【Gi/ギ】葦/3+10=13)の数値に合致する。

 

…此の【葦】に対し、B,C,31年以降、此の極東の島に渡海した【Qumran Sect】(クムラン・秘儀教義宗団)トップグル-プの人達は、倭語【タケ】造語=竹/高く成長する意)の存在を尊重し、その竹が茂った地域(タコチ=竹渕)に、先ず、聖なる【カミ=ΙΑΩ】を勧請して祀った。そして、此の地域一帯(タコチ=竹渕/亀井/澁川付近一帯)に対し、【ΙΑΩ】(ヤオ/現在は八尾市の名称)と命名したのである。

 

…此の続きは後日と致します…

 

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