【メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン】(日本語のル-ツ)  | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

【メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン】 (日本語のル-ツ)

…【黙示書】の「ダニエルが開発し設定した【日本のヤマトコトバ】… 

…【ダニエル書】(5・25)によると、【Mene(メネ),Mene,Tekel(テケル),U(ウ)・Pharsin(パルシン)】。つまり「God(カミ) of(の) finger(手先)が現れて書かれた誰も見た事が無く読めない文字」。と言う文字に付いての説明が書かれている。つまり、「カミ(God)の手先(finger)」が突然現れ、宮殿内の壁に「誰も読めない文字」が書かれた。そして、バビロン(カルデア)王の前に呼び出された捕囚でユダヤ民族のダニエルは、その文字内容を解き明かした。その文字(秘儀数値は筆者小島説の挿入です)の【Mene】(メネ/700&39)とは、「カミ(God)が貴方の治世を数えて終わらせた」。次の【Tekel】(テケル/148)とは、「貴方がハカリで量られて目方が足りない事がわかった」。次の【U】(ウ/303)に付いては言及が無い。その次の【pharsin】(パルシン/313&48)とは、「貴方の国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられる」。等と言う内容であった。そして、その日の夜、そのカルデア(バビロン)王は殺された。その後(BC538年)、バビロンを倒したペルシアのキュロス二世は、ユダヤの捕囚に対し、【祖国帰還許可勅令】を発布した。 

…【メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン】に対し、ゲマトリア(文字&数値転換・解読方式)を用いて読み解けば、「①メネ700+②テケル148+③ウ30+④パルシン313=満・1190」となる。此の合計数値(1191)は、【脱・ユダヤ教】を目指した【ダマスコ契約・秘儀教義宗団】(後に言うQumran Sect/クムラン秘儀教義宗団)のトップグル-プの人達は、【カミ(上/God)の顕現年】数値(BC31年/ヘロデ王の7年)として取り込んだ。又、最初と、2番目の合計数値、すなわち「①メネ700+②テケル148=満847」の数値は、我が日本国(ホツマ/ヤマト国)の創建史の部分に当る文書を作成するに当たり、暫定的なカレンダ-(コヨミ=木読/暦)の暦(歴)の歴年数値として取り込んだ。つまり、【日本人の正典】(Bible=聖書)としての文書を構成し作成するに当たり、【Qumran Sect】トップグル-プの子孫達(天児屋=アメノコヤネ/他、レビ族等)は、【アスズコヨミ】(天鈴木読/Calendar)を作成するに当たり、先述に言う「メネ(700)+テケル(148)=満847」の【秘儀数値】を取り込み、『秀真伝』文書(聖書)歴年数値として取り込み設定したのである。何故かと言えば、古代(A,D,1世紀中頃)、地中海沿岸文化圏にあったユダヤ民族の歴年数値(ヘロデ第7年から継続/【幻の西暦71年目)に接続させる為だったのである。 

…現在に言う、「神武天皇・即位年は」、「紀元前(B,C)660年」とされているが、その謎解きは、此処に言う『秀真伝』文書に取り込んだ「メネ、テケル」の【秘儀数・満847】(天鈴暦847年)を以て説明(解明済)する事ができる。要訳すれば、【天鈴暦】とは、「660年間・底上げカレンダ-」(サコクシロ・ゲマトリア数値の挿入)だったのである。  

…此れ迄の『秀真伝』の研究経過は、 
…Amebaブログ( http://ameblo.jp/erusaremu464/entrylist.html )の他…《『ハマボウ(黄槿)の花の下で』より/URL》… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 ← (ドラッグ&クリック検索の事)…等、複数のブログにも記載しています。 

 …日本語(ヤマト言葉)の始まり… 

…【元始・ヤマト言葉】の基本的文字配列方式(アイウエオ/5母音48文字言語)は、【Qumran Sect】(死海文書/1947年発見)トップグル-プの子孫達が、【カミ(上/God)の顕現年】(BC31年/ユダヤ地域に巨大地震発生)を契機とし、尚、此の時の巨大地震発生以降、極東(日本列島)へ移動(渡海)し、我が日本(ホツマ/ヤマト)の国家を創建した。その【日本建国・創建史】の内容は、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(三笠文/散逸書)文書に書き記している。尚、此の双方の文書は、【日本人の正典】(Bible/聖書)として書かれたものである。従って、当時に於ける【三種の神宝】(ミクサノカンタカラ=剣・鏡・文書=正典)の1つとして此の文書、即ち、『秀真伝』(【逸書…三笠文】)を【正典】(Bible)として取り込んだ。 

…【缺史八代・説】は不要の長物となる…

 

…現在のアカデミ-的「日本・古代史界」(戦後/昭和20年・大東亜戦争後に設立)に言う、【缺史(ケッシ)八代・説】は、戦後に再発見(昭和41年)された『秀真伝』(神代文字・文書)の解読によって、不要の長物となりました。ちなみに、何故【缺史】と言うのか。それは、『古事記』、『日本書紀』には【天皇系譜】(帝紀=皇室の家系/来歴)は記述されているが、その【事績】(旧辞=旧辞は歴史)に関しては、「第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇迄の8人の天皇条には書かれていない」と言うのが理由とされる。然し、『日本書紀』の底本だった『秀真伝』文書には、【富士山】の語元(第7代・孝霊天皇時)の事が書かれている。つまり、【富士山】の語元(語源の意ではありません)の事。「富士(藤)・八湖」(A,D,3~4世紀頃は富士八湖だった)の事も、「第7代・オオヤマトフトニ/諡・ネコヒコ」(孝霊天皇)の御幸(巡幸)の時として明記されている。つまり、此の御幸に於ける文面は、【旧辞】に当る。従って、『秀真伝』文書が再発見(昭和41年)されて以降、【缺史八代・説】は、不要の長物と言う事になる。 

…以上の文面は、昨日(平成29年7月16日/土日)の『第三回・ΙΑΩ・発信会』集会(場所=大阪府八尾市久宝寺/寺内町まちなみセンター会議室)で用いたテキストです。 

『ΙΑΩ(ヤオ)・発信会』とは、「八尾(iao/大阪府八尾市)に始まる日本国家創建史・発信会」の略称です。 

…下記に【追記】(平成29年=2017/08/06・日曜)…
 

…次回(【第三回・ΙΑΩ・発信会】)の集会は、10月中頃 (土曜日)を予定しています。そのテ-マは、【タコ・チ】(竹渕/八尾市竹渕神社)の語元等と致します。
 

…ちなみに、現在、大坂名物の1つになっている「たこ焼き」の、【鮹=蛸】(タコ)の語元も、元を正せば、此の【タコチ=竹渕】(竹渕神社・縁起/光正寺文書)の名称(呼称)に起因する。

 

…何故、【神武・長髄彦討伐物語】として、「ヤマアト・カワ」(ホツマツタヱ・29章/ヤマト討ちの章)を溯ったのか。此処の処が、【日本建国・創建思想】解明の糸口となる。然し、此処の部分を『現存・日本書記』(国史大系1)に照らし合わせると、【川】とは書いていない。「溯流而上、經至、河内國草香邑青雲白肩此津(盾津)」と記している。つまり、此の【長髄彦・討伐物語】の時に言う「ヤマアト・カワ」(カミの御名が語元である)とは、【シフカワ】(澁川=澁川海道)の事である。尚、『秀真伝』文書に記す【ヤマトカワ】漢字の名称=大和川の意ではありません)の意は、春日山(奈良県)から流れる水の道を掘った事を以て命名した名称(現在言う率川?佐保川に合流する)であって、現在に言う大和川、つまり、付け替え前の【玉櫛川】や【長瀬川】の事ではありません。

 

…【日本建国・創建思想】…は、先述に言う【タコチ】(竹渕)の語元に関連する。従って、『秀真伝』に…ヰツセミコが肘を射られ、苦戦の末、「ヤオエヒク」(八尾へ退く)と記している意味は、【盾津】(白肩津)から西に移動するも、河内湖の浪速を出ず、再度、「海道・ヤマアトカワ」(澁川)を溯り、ヤオ(現在は八尾市の名称)の【タコチ】(竹渕)へ行って祭事を行い、作戦を変更した事を意味表している。此の事に関する内容は、【竹淵神社・由緒書】(竹淵郷神社縁起)だけが、記す処であり、貴重な文章である。        

 

 …此の続きは後日と致します…  

 

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